奨学生の声

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カテゴリー別 奨学生の紹介

元奨学生のその後

現奨学生の紹介

奨学金申請中の子ども

 少数民族教師育成プロジェクト【ラオス】

 女の子の教育【カンボジア】

 もっと知りたい

 

タイ タイ 奨学生の紹介

【元奨学生のその後】

元奨学生の結婚式に「お父さん」として出席

中野秀俊さんはダルニー奨学金で支援した中学生、ナムチョック・プイペン(通称ヌイ)さんをさらに高校、大学まで支援しました。ある日、中野さんのもとに、ヌイさんから結婚式の招待状が届きました。
そして、
2017年3月、タイで行われたヌイの結婚式に「お父さん」として出席しました。

以下は、結婚式に出席した中野さんから届いた感想です(一部修正)。

16年前に私が初めて支援した奨学生、ナムチョック・プイペン(ヌイ)から「結婚するので3月25日の結婚パーティーに是非参加してほしい」と連絡があり、以前より彼女が結婚する際は参加する約束をしていたこともあり、佐久ダルニー連絡会代表の柳沢光一氏とタイに行ってまいりました。

元奨学生の結婚式

<新郎新婦と中野さん(写真:右端)>

彼女は中学時代から勉強が好きで、私の家族の理解もあり中学~大学まで支援をし、大学卒業後も今日に至るまで16年間互いに連絡をとり合い、彼女は私のことをお「父さん」と呼んでいます。彼女は今、バンコクの短期大学で学校スタッフとして勤務しております。
彼女はすでに実父を亡くしているため、結婚パーティー招待状には両家のご両親名のところに私が彼女の父親として印刷されていました。
18時よりパーティー会場入口で、新郎新婦と両家の両親とで招待者をお迎えするのですが、私も彼女の父親として約600名の招待客をお迎え致しました。

セレモニーでは、新郎新婦の首にお祝いの花輪を職場の上司や各関係者がかけたに新郎の父親が挨拶をし、その後新婦の父親として私があいさつをしました。
あいさつ文は事前に私が住む市の市役所のタイ語翻訳ボランティア(タイ人)にタイ語に翻訳してもらい、式では彼女が代読しました。
彼女が代読する前に、私がカタカナ翻訳したタイ語でしどろもどろしながら自己紹介と彼女との関係、さらに私がタイ語でのあいさつができないので、彼女に代読してもらうことを短く説明。
そして、いよいよ彼女があいさつ文を代読しましたが、段々涙声になって声を詰まらせ、さらに新郎とご両親も涙していました。
それを見た私も涙、涙・・・。

私はいつも思っているのですが、彼女がどんなに頭が良くてもダルニー奨学金に出合えなかったら、今の幸せな生活は無かったと思います。
今回、改めて教育を受けることの大切さを再認識するともに、彼女の幸せを願い、タイをあとにしました。

 

2人の大学生(元奨学生)からのビデオ・メッセージ

ワサナ・サプラブマートさん(コンケーン大学 コンピューター科学学科2年生)、ナトリ・スリサワドさん(ドンブリラジャハート大学 経営学部経営学科1年生)からビデオ・メッセージが届きました。

 

ダルニー・サリーラオ Darunee Sreelao

1987年、日本で知り合ったタイ人留学生の帰省に同行した、理事長の秋尾は、タイ東北地方の村で経済的に貧しくて中学校に就学できない現状を知りました。
「ここはタイで最も貧しい地域で、小学校卒業後すぐに働きに出る子どもが多いんだ。
今、私の膝の上に座っているこの子も同じ境遇なんだよ」と、ある村人から聞かされました。
少女 ダルニーちゃんとの出会いです。
必要な金額は年間1万円強 「これなら私にも支援できる」、日本に帰国後、村人の膝の上に座っていた少女の名前をもらい、支援を募ったのが「ダルニー奨学金」制度のはじまりです。

その奨学金の名称にもなったダルニーちゃん、今は、何をしているのでしょうか?

遠くの国の日本人の方々が、なんの見返りもなく、自分の勉強の為に、ただただご支援頂き、奨学金を得て何とか勉強することができました。今度は、自分自身が、同じ国の、自分と同じような境遇の子どもたちの為に働きたい・・・

いまは、なんと彼女は、EDF-Thai(タイ事業所)で、自国の子どもたちの為に、働いているのです。

支援を受けていたころの奨学生

現在は民際センター・タイ事務所の職員をしています

【現奨学生の紹介】

もっと勉強したい

バイカ(チチカ・シカモク)さん(新中学1年生)

バイカさんからのお手紙。

私は竹で作られた古い家で祖母と暮らしています。祖母は、月に600バーツ(日本円で約2,100円)しか年金を受け取ることができません。
両親は家から遠く離れたトウモロコシ畑で農業を営み、一晩中働いています。
また、私には兄と姉がいます。二人はすでに中学校を卒業しましたが、進学はせず、現在は家族を支えるためにバンコクで働いています。これらの収入だけでは生活費はまかないきれないので、週末には私もほかの農家で働き、一日につき200バーツ(日本円で約700円)もらいます。
稼いだお金は学校に預金し、学校で必要なものを買っています。GPA(学業平均値)は3.22です。私は歌うことが好きで、地域の歌のコンテストで代表として出場し、そして、優勝することができました。将来は看護師になって、困っている人を助け、また、私の両親が病気の時は看病したいです。

私は奨学金を受けることができて大変うれしく思っています。奨学金で、教科書など学校で必要なものが購入できます。そして一緒懸命勉強することを約束します。支援者の方に感謝の気持ちを伝えたいです。私はこれからも夢を追い続けていきたいと思います。

看護師になることを夢見てこれからも勉強したいと語るバイカさん。

 

 ソーンサワン・パンドゥアングさん(中学3年生)

奨学金で中学校に3年間通い、春から高校生になるソーンサワンさん。

はじめに、支援者の方々と民際センターの方々、私やほかの子どもたちを支援して下さったことに御礼申し上げます。奨学金のおかげで家族の負担が減りました。
初めは、私は奨学金を受けることができるかどうか自身がありませんでしたが、先生から良い報告を頂くことができ、とってもうれしかったです。
私の両親は農家を営んでいます。両親は雨季にはお米を育て、それ以外の時期は、低賃金労働者として働いています。いつ収入が全く無くなる時がくるかわからない状況において、民際センターの奨学金を受けられたことは私にとって貴重なものでした。
私は奨学金で制服や靴下などの学校で必要なもの買いました。もし、私がこの奨学金を受けることができなかったら、この楽しい3年間を過ごすことはできませんでした。そして両親は私を学校に通わせるために借金しなければならなかったかもしれません。

 私は数か月後に中学校を卒業し、公立高校に入学する予定です。将来は、看護師か、小学校の先生になりたいです。小学生はわんぱくなところもあるけれど、かわいいと思います。私は小学生に家族や地域にたいして思いやりを持てる人であることが、いかに大切であるかを教えたいです。この夢が実現するかどうかわからないのに、私を学校に通わせるために一生懸命働いてくれる両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。時々、中学校を卒業したら、高校進学をあきらめ、工場で働こうかと考える時があります。進学できたら、真面目に、一生懸命勉強するつもりです。母はいつも私に、意志のあるところに道はあると言います。

 最後にもう一度、私に学ぶ機会を与えてくださった支援者に感謝を申し上げたいと思います。
自分の利益より、みんなのためを思って行動できる支援者の方の様な人になることを約束します。

 
 ワリサ先生(ダルニー奨学金担当の先生)
 

民際センターの奨学金は、貧しい地域の恵まれない多くの子どもたちにとってすばらしい存在です。
この貧困における経済的地位が家族に多くの影響を与えています。両親が離婚する場合もあれば、仕事を見つけるのが難しい親たちもいます。
多くの親は、子どもたちを祖父母に面倒を見てもらわざるを得ません。また、学校から遠く離れた地域に住んでいて、学校に通えない子どももいます。
他の奨学金は1年間だけのものや、ほんの数人にしか与えられないのですが、民際センターの奨学金は毎年受け取ることができるため、本当に子どもたちの助けになっています。
これは大きな違いなのです。民際センターの奨学金は子どもたちにとって本当に役に立っていると私は感じています。

 子どもたちは奨学金を必要な文房具を買うために使用しています。私は勉強が得意ではない子でさえ授業に一生懸命に参加していることに気が付きました。
子どもたちを支援してくださった民際センターの方々に感謝しています。そして、これからもこの制度が続くことを切に願っています。
子どもたちに囲まれ、笑顔のワリサ先生。

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【奨学金申請中の子ども】

子どもたちの夢を叶えるために

 ハイタチップさん(小学校6年生)

小学校六年生のハタイチップは、祖父母と暮らしています。小さい時に父は亡くなり、母は再婚して彼女を祖父母に預けて出て行ってしまいました。祖父母は生活が苦しい中でも、ハタイチップを大切に育てています。

彼女の祖父母は農民です。米やイモを育てて生活しています。でも、収入は家族3人が暮らしていくには充分ではありません。なので、彼らは借金をしてなんとか生活をしていますが一向に暮らし向きは良くならず、借金は増えるばかりです。彼らの住む家は古く、トタンの屋根は壊れていて水漏れします。そのような家では、雨期は特に雨漏りして大変です。

 

家の前で

祖母と一緒に

 

 

 

 

 

 

 

 

ハタイチップは言います。「家の借金を減らすために出来る限り、祖父母の手伝いをします。そして、無駄遣いはしません。祖母は、心の病を患っている私の叔父の面倒も見なければならないのです。」

彼女は最近の嬉しかったことについても話してくれました。「先日、私はロイクラトン祭り(地元のお祭り)の美少女コンテスに出場し、優勝しました!そして、賞金として1,700バーツ(日本円で約5,800円)をもらってとても嬉しかったです。それは、今まで私が見た一番高額なお金です。そして、すべてを生活費として祖母に渡しました。 生活は苦しいですが、私は祖父母が大好きです。彼らは、私を守り、応援し、そして愛してくれます。」

 

美少女コンテストの様子(右から二番目がハタイチップ)

セパタクローをするハタイチップ

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は、日常生活についても話してくれました。「毎朝、5時半に起きて家族の朝食を作ります。学校では、担当の掃除等の決められた役割を果たします。昼食後は、(校内放送の担当なので)全校生徒に学校生活を送るうえで必要な情報をアナウンスします。特に火曜日の朝は重要で、その週の最新情報を伝えます。運動も好きで、学校ではセパタクローをします。放課後は、祖母の家事や畑仕事を手伝います。祖母は米やキャッサバ(イモ)を作っています。その後、シャワーを浴び、宿題をして7時ごろには寝ます。週末は終日、祖父母の畑仕事を手伝います。」

ハタイチップは医者になるのが夢で、祖父母や病気の人々を助けたいと思っています。彼女は「ダルニー奨学金は、経済的に恵まれない子どもに教育を受けさせてくれ、より良い未来をくれます。もし、奨学金をもらえたら、学業に必要なものに使います。」と話しました。   

 

あなたの子どもの頃の夢はなんでしたか? Share the dream.

6歳になったら、小学校に行き、次は中学校に行く。日本では、当たり前の日常ですね。
そのころ、私達も、当たり前のように将来の夢があったはずです。

もしかしたら、日本の日常が、彼・彼女たちの日常とは、まったく別のものかもしれません。
貧困により、当たり前のように、家族のために働いて、学校に行けない。そんな日常かもしれません。

経済的に恵まれない子どもたちの、ほんの一部しか夢を語ることはできないのです。
今回は、タイの子どもたちの夢を聞いてみました。

 

【もっと知りたい】

  【タイ】もっと勉強したい①(中学・入学予定/卒業予定・ダルニー奨学金担当先生それぞれのお話し)

  【タイ】もっと勉強したい②(中学・入学予定/卒業予定・ダルニー奨学金担当先生それぞれのお話し)

  【タイ】ソンポンさんからのメッセージ(タイ人元奨学生は、経済的自立を果たし、故郷の後輩を教育支援)

  【タイ】子どもたちの夢を叶えるために②

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ラオス ラオス 奨学生の声

【元奨学生のその後】

助産師として地方の人たちの健康を支えています

ダルニー奨学金の奨学生だったブアラバン・ケオロングさんは、貧しい家に生まれました。そして、ダルニー奨学金を得て、今は助産師として働いています。もし、奨学金を受けられなかったら、今のような職業に就く事も出来なかったでしょう。その彼女が、助産師になるために通った今までの学校での生活、大変だったこと、嬉しかったこと、そして何よりも支援をして下さったご支援者様への感謝の気持ちを何度も話してくれました。 

私は、奨学金のお陰で教育を受けることができこの上なく幸せです。民際センターと支援者の方にはとても感謝しています。もし、教育を受けていなかったら、私は、今、どこにいたかわかりません。きっと、畑を耕して貧しさに苦しんでいたことでしょう。でも、奨学金を得て、人生を変えることができました。そして、私は自分が助産師として他人を助ける仕事につけたことに誇りを持っています。民際センターの皆様、支援者の方、私にチャンスを与えて下さって本当にありがとうございます。
         助産師学校の生徒たち
学校生活の中で最も印象深い思い出は助産師になるための実地研修です。その中には8人の実習生がいて私を含めてすべて女子学生でした。私たちは地方の村に行き、村人たちに薬を配りました。そして、オートバイで何時間もかかるような、地方へも行きました。道路状態がとても悪かったので怖かったです。訪問した村で妊婦さんたちの健康診断を行い、最近生まれた赤ちゃんがいるお宅へも行き、新米のお母さんに母乳で育てることの大切さを伝えました。私たちは、訪問した地域の生活の様子を知ることができ、人々が住む近隣に医療機関がある事の重要性に気づかされました。日々、一つ一つの経験が貴重な物でした。改めて、勉強できることの素晴らしさを実感し、支援者の方にはどんなに感謝しても足りません。私は、学校での座学と実地研修で学んだことをすべて習得し、その能力を活かして故郷の村で人々のを助ける仕事をしたいと思ってきました。そして、私は今、家の近くの医療機関で助産師として、村人の健康を見守っています。
 

マリヤ・パトパーンさんからのビデオ・メッセージ

元奨学生のマリヤ・パトパーンさんは、生まれ育った村で小学校の先生をしています。
奨学生だった当時、彼女の家はとても貧しく、ダルニー奨学金をもらってやっと学校に行くことができました。
その彼女が、支援者の方に感謝のメッセージを寄せてくれました。
 

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【現奨学生の紹介】

卒業を迎える中学校4年生

私は、ソムオー・サイアノン(16才)。カムアン県ターケーク郡にあるクアドン中学校の4年生です。両親は農家で、3人の兄弟がいます。ダルニー奨学金のお陰で、中学校を卒業し、高校に進学することができます。新しい制服や学用品がもらえてとてもうれしいです。お米を炊く、家掃除、皿洗いなど家事の手伝いの他に、余暇の時間は母を手伝って、かごを作ります。そんなに収入にはならないですが、生活費の負担を少しは減らせます。
ラオス語は、私の一番得意な科目で好きです。勉強以外に課外活動はラオス伝統舞踊の練習をします。奨学金の支援がなければ、高校に進学できず、こんな楽しい学校生活は過ごせないと思います。支援者様に心から感謝します。将来は、警察官になることを夢見ています。

 

これまでも、そしてこれからも生徒たちに寄り添い続けます

ダリバン・サイヤケット先生は、ラオスでのダルニー奨学金プロジェクトにおいて重要な役割を果たしています。先生は、初期(2009年)から奨学生の選考やサポートを行うガイダンスティーチャーの一人です。タケク郡のクアドン中学校で教鞭と取りながら、地区でおおよそ50人の奨学生を担当しています。ガイダンスティーチャーの重要な仕事の一つとして、民際センターラオス事務所と学校をつなぐ役割があります。先生は、生徒たちやその家族のことをよく知っています。そして、貧困や学校に行けない生徒たちの状況を見てよく理解し、それらを民際センターラオス事務所に伝えてくれます。ラオス事務所の職員だけでは、今のように奨学生に寄り添った支援は出来なかったでしょう。

ダリバン・サイヤケット先生

先生と生徒たち

先生は、次のように話してくれました。「日本の方々がラオスの中学生にお心を寄せて下さっていることに対して深く感謝申し上げます。中学生への奨学金制度が始まった2009年以降、このプロジェクトは子どもたちに大きな影響を与え、それは良い意味で地域における大きな変化となり、私はそれを肌で感じています。奨学金をもらう事によって生徒たちは学校に安定して通う事ができ、勉強に集中することができます。彼らは、勉強に対して情熱を持っており、このように就学の機会を得て、子どもたちはより良い人生を送ることができると家族も感謝しているのです。家族は、学校に行くためにかかる費用(学用品や制服等)を心配する必要がなく、結果として退学率は減りました。以前、生徒たちが学校に行けなかったのは、生活費を稼がなければ生きていけない状況にあったからです。生活に不安があっては、勉強にも身が入らず成績も上がりません。そして、奨学金は彼らの親や祖父母も助けます。つまり、彼らは生活費を得ることだけに専念することができ、学校に通っている子どもたちを働かす必要がなくなったからです。皆、教育の重要性をよく理解し、教育は生活の安定に繋がることをわかっているのです。」

生徒たちの様子

そして、先生は続けます。「私はいつも生徒を励まし、見守ります。生徒たちや彼らを取り巻く環境の変化について些細な事でも民際センターラオス事務所に報告し、どう対処すべきかを相談しています。奨学金は生徒たちの生活を大きく変えました。奨学生も家族もダルニー奨学金の制度があって本当に嬉しいと言います。ですから、奨学生と家族になり代わり、民際センターのスタッフ、支援者の方々にお礼が言いたいのです。彼らを助けて夢を叶えるために、是非、この取り組みを続けて下さい。教育は明るい未来をもたらし貧困の連鎖を減らすことができるのです。」

生徒たち、そして家族に寄り添った先生の姿がそこにありました。 

 
 
 
 
 
 
 
 

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【奨学金申請中の子ども】

奨学金を待つ生トゥンさん(12歳・女子)

ラオスでは、小学校を卒業し、この9月から始まる中学校生活を楽しみにしている子どもたちがたくさんいます。しかし、経済的理由で、中学校に行けるかわからない子どももいます。
今回は、小学校3年間(3年生から5年生)ダルニー奨学金の支援を受け、中学校入学を待つラオスの女の子を紹介します。
*民際センターは、ダルニー奨学金の対象を小学生から中学生に完全に移行し、現在小学生に対する支援は実施していません。

ラオス・カムアン県に住むトゥンさん(12歳・女の子)は、小学校を卒業し、この9月から中学校に入学する年齢です。彼女の家族は、母と姉が1人いるだけです。父は、3年前に長患いの後に亡くなってしまいました。一家の大黒柱である父を亡くした後、家族は苦難に陥ってしまい、不幸なことに、彼女の母も体調を崩し、治療代を捻出するのもままなりません。17歳になる姉は、母とトゥンさんを養うために、田んぼで一生懸命働かなければなりません。トゥンさんも、家計を助けるために、収穫期や学校が休みになると、農業や家事手伝いなどのアルバイトの仕事をしています。家の収入が一日あたり2ドルにならないこともあり、生活するのに十分ではありません。

家の前で家族と並ぶトゥンさん(右側)


トゥンさんは小学校3年生の時からダルニー奨学金の支援を受けており、小学校5年生を卒業できました。中学校へ進んで、勉強を続けたいと望んでいます。
トゥンさんは、次のように言います。「小学校に通うことができ、私はともて幸運でした。たくさんの友達と出会うことができ、一緒に学校生活を送ることができました。私の先生はとても親切で、大好きです。最後に、私に奨学金を提供してくださった支援者の方に、本当にありがとうございましたとお伝えしたいです。これからも勉強を頑張りたいです。」

小学校での学校生活を通じて勉強することの楽しさを知り、中学校で勉強を続けたいと希望している子どもたちはたくさんいます。しかし、経済的理由でその希望を諦めかけている子どもがいます。ダルニー奨学金の支援を受けられれば、勉強の楽しさを知った子どもたちは中学校で勉強を続けることができます。

初めてアイスクリームを食べたラオスの小学生

民際センターラオス事務所の職員は、仕事を通じて、たくさんの子どもたちに会います。職員が出会う子どもたちは、いずれも経済的に非常に困難な状況にいます。経済的に厳しい子どもたちに接する機会が多いラオス事務所職員でさえ、衝撃を受けるほどに厳しい状況に置かれた奨学生を紹介します。

彼女の年齢は10歳です。両親から見放され、年老いた病弱の祖母と森の中で暮らしています。支援を受けるまで彼女は独力で勉強し、成績は優秀でした。しかし、今後の生活の見通しがたたず、将来どうなるかはわかりませんでした。

 

ラオス事務所職員が、彼女に会うために学校を訪問しました。昼時になり、みんなで昼食に出かけました。その時、彼女は初めて自動車に乗り、エアコンの風をあびました。その日はとても暑い日だったので、彼女はともて気持ちよさそうにしていました。

 

レストランに入り、彼女に好きなものを頼むように伝えました。しかし、彼女は何も答えないので、炒飯を注文しました。でてきた料理が好きそうでないので、どうしたのと聞きました。そうると、彼女は今まで炒飯を食べたことがないというのです。他に何か注文するかと聞くと、彼女は泣き始め、丁寧に断りました。そして、か細い声で、毎日もち米しか食べてこなかったというのです。そして、日によっては、肉の干物をおかずにしているというのです。

 

食後、アイスクリームを買うために、商店に向かいました、私たちが店に入ろうとすると、彼女は入ることに躊躇していました。それは、今まで一度も店に入ったことがなかったからです。店に入ると、彼女は店内の様子に驚愕していました。彼女に何味のアイスクリームがいいかを聞くと、彼女は困ってしまいました。彼女はアイスクリームを食べたことがないので、アイスクリームがどういうものかわからないのです。まして、何味か聞かれても、想像することはできません。バニラ、チョコレート、ストロベリーといっても、想像することができないのです。そして、今回初めてアイスクリームを食べることができたのでした。

同じラオス人の職員でさえ驚くほどの厳しい経済状況の子どもがたくさんいます。

そういった子どもたちが、一人でも多く中学校に通えるようにあなたの支援をお願いします。

 

【もっと知りたい】

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カンボジア カンボジア 奨学生の紹介

【元奨学生のその後】

今の自分に自信をもって生きています

私は、クン・ビチェット、24歳です。カンボジアのカンポット県で友人とともに起業して、今は財務を担当しています。そして、自分の仕事に誇りを持っています。

元奨学生のクン・ビチェットさん(右)

私には7人の兄弟がいて、私自身は上から4番目でした。兄弟はみな、生活が苦しく小学校を卒業することもできませんでした。特に私が小学校の卒業をむかえるころ、家庭の経済状況はひっ迫していたので、とても両親には「中学に行きたい。」とは言えませんでした。

年上の兄弟と同様に中学校には行けないと思っていたので、その時はとても悲しく絶望していました。でも、幸運なことに小学校を卒業した時にダルニー奨学金の奨学生に選ばれたのです。奨学金支援を受けることができて、本当に嬉しくてとても誇らしい気持ちになりました。そして、一生懸命勉強して、私は、中学校を卒業することができたのです。

高校に進学した時、裕福な家の生徒は補習授業(有料)に通うことができましたが、私の家は貧しかったのでその補習授業へは行くことができず、結果、成績はあまりよくありませんでした。高校を卒業しなければ、大学や専門学校等の上位教育を受けることはできません。私はその頃、勉強が好きでエンジニアになりたいと思っていました。なので、高校卒業後、専門学校の試験を受験し合格しました。でも、私の両親は私を学校に通わせるだけの余裕はありませんでした。その時、幸運なことに会計事務所での仕事を見つけ、そこでの収入を学費に充て、働きながら勉強を続けて学校を卒業することができたのです。

私は、支援してくれた日本の支援者の方にお礼が言いたいのです。教育は私の人生を明るく照らしました。そして、経済的に恵まれず教育を受ける機会のない子どもたちを支援する活動を続けていただきたいと思います。彼らは本当に支援を必要としているのです。

経営する会社で従業員と(右がクンさん)

最後に、私に教育を受ける機会を与えてくださった支援者様に心から感謝し、ご多幸を心からお祈り申し上げます。

貧しさから救ってくれたのは「ダルニー奨学金」でした

カンボジアの教育環境は、1975~1979年に政治勢力「クメール・ルージュ」政権による教育層への大量虐殺により崩壊しました。その後、1991年のパリ平和協定以来、海外からの支援によりその状況は劇的に良くなりました。しかし、都市と地方の貧富格差による特に地方の中等教育における低就学率や高退学率等の解決しがたい問題が残っています。

民際センターで、教育こそが国の発展に貢献し、貧困を撲滅すると考えており、は2007年からカンボジアの地方における教育支援を続けています。そのような中で、ようやくその元奨学生たちがカンボジアの社会に貢献しているという話を聞くようになりました。今日は、その中の一人、現在は教師養成短期大学に通うソドン・ペルンさんの紹介をします。

貧しさから救ってくれたのは「ダルニー奨学金」でした。

私は、ソドン・ペルン、20才、今は教師養成短期大学の1年生です。来年、この短期大学を卒業して教師になります。自分が教壇に上がって子どもたちに勉強を教えることを想像しただけでとても誇らしい気持ちになります。

教師養成短期大学の1年生 ソドン・ペルンさん

私は、ダルニー奨学金のお陰で、中学校を卒業することができました。その頃、私の通う中学校では、9人の生徒たちが私と同じく支援を受けていましたが、そのほとんどが高校に進学することはできませんでした。

小学校の卒業を前にしてダルニー奨学金を受け中学校に通うことができると聞いたとき、私は本当に嬉しかったのです。その頃、私の家はとても貧しく、ダルニー奨学金がなかったら中学校に通うことはできなかったでしょう。経済的に恵まれない状況の中でつらかった時、遠い日本で自分を応援してくれている人がいると思うと勇気が湧いてきました。そして、無事に中学校を卒業することができました。

私が、高校に行き始めたころ、家族の経済状況はそれまでになく大変で、高校を辞めなければならない様な状況が何度もありました。でも、私は勉強が本当に好きで、これまで私たち家族を苦しめてきた「貧しさ」から抜け出したいと考えていました。その時、子どもたちに英語を教える仕事を見つけることができ、そこで稼いだお金で高校を卒業することができたのです。私は本当に幸運でした。

私は、自分を支援してくれた日本の方に感謝の言葉を伝えたいのです。その就学支援は、私に教師になって次の時代を担う子どもたちを教え、自分自身は自立できるという明るい未来をくれました。ご支援していただきました方、本当にありがとうございました。

このように私に希望を与えていただいたご支援者様へ、改めまして心からのお礼を申し上げるのとともにあなた様の末永いお幸せを心よりお祈りいたします。

世界地図の前で夢を語るソドンさん

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【現奨学生の紹介】

貧しさの中で取り残される子どもたち

カンボジアの学校は秋入学制で11月に新学期を迎えます。民際センターが支援する地域にも今年小学校を卒業した子どもたちがいます。彼らに話を聞き、それらをお伝えします。
今年の11月から中学校に行って勉強を続けたいけれど、お父さんお母さんのこと、兄弟姉妹のこと、おじいさんおばあさんのこと、そして何よりも生活のことを考えたときに「この先どうなるかわからない。」と不安そうに言います。彼らには、十分な力も知識もなく自分ではまだ生活を支えることはできません。この機会に彼らの声を聞いてください。
紹介する子どもたちの中には、年齢が中学校に上がるには大きい子どもたちが何人かいます。それは、貧しさで何年間か学校に行けなくて次に行ったときには、普通に学校に行っている子どもたちよりも大きな年齢になっているからなのです。民際センターが支援している地域には、そのような子どもたちが多くいます。

イム ファリーさん(14才)

おうちの前で

海藻を編んで家計を助けます

私は勉強が好きで先生になりたいから毎日学校に通っています。成績は、クラス33人中6番目です。お母さんは7年前に亡くなり、父は再婚して私たち子どもとおばあさんを置いて他の土地に行ってしまいました。
私の家族には土地がなく、牛も飼っていません。祖母は、近所での仕事を探さなければなりません。仕事を見つけられないときは、海藻でマットを編みます。私も学校がない時は、祖母を手伝います。
私の兄と姉は、生活のために働かなければならなかったので学校を辞めざるをえませんでした。私はどうなるのでしょう。私は学校の先生になりたい。ですが、私の家庭は貧しいので先生になれるかどうかはわかりません。

ハット スレイ リークさん(13才)

金属くずを集めます

おうちの前で妹と

 将来の夢は、先生になることです。私は3人の兄弟がいて、その真ん中です。父は、随分前に亡くなり、母は再婚し私たちを置いて出て行きました。
私、兄そして妹は、祖母の家に身を寄せました。その祖母は年老いていて、病気がちで貧しいのです。私と妹は放課後と休みの日には金属くずを集め、兄は牛の面倒を見る等の仕事を見つけて生活費を稼がなければなりません。
私の兄は、昨年小学校を卒業しました。妹は5年生になります。私は中学校に行けるかどうかはわかりません。なぜなら、兄は学校に行くために必要な筆記用具や洋服、自転車がなかったので中学校進学をあきらめたからです。

ペック ナリさん(13才)

 

 

 

 

 

 

 



おうちの前で

私は、将来は先生になりたいと思っています。私は勉強が好きで学校を続けたいです。成績も悪くないのです。
私には兄弟がいません。私と家族は他人の土地に建てた掘っ立て小屋に住んでいます。父は体が弱く、母も定職がなく一日の収入は15,000リエル(日本円で約400円)です。私も家計を助けるため休日に仕事を探します。
私は勉強を続けたいのです。なぜなら私は本当に先生になりたいのです。私は今年小学校を卒業したので秋には中学生です。でも、中学校に行けるかどうかはわかりません。うちには畑もありませんし、家を建てる土地もありません。中学校で勉強するには学用品が必要でそれらを買う余裕はうちにはありません。 

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【奨学金申請中の子ども】

先生になりたい

カンボジアの地方で経済的に恵まれない子どもたち、とりわけ学校も勉強も好きだという子どもたちに将来の夢を聞くと、その多くが「先生」と答えます。もちろん、カンボジアにおいても先生以外に多種の職業があります。医者、弁護士、警察官、看護師、歌手、調理師・・・日本のそれらと何ら変わりません。なのに、なぜ彼ら彼女らは「先生になりたい」と答えるのでしょうか。民際センター・カンボジア事務所・所長のチャンディーにその疑問を投げかけました。「身近にいる大人で職業を持っている人が先生しかいないからです」と彼は言います。「家に電気も通っていないので、テレビを見たり、ラジオを聞くこともありません。また、彼らの両親も小学校を出ていないため、読み書きが十分にできず得られる情報は限られます。そのような環境の中で育っている子どもたちは世の中に対する視野が狭いのです。もちろん、教師は立派な仕事だけれども他の選択肢があることもゆくゆくは知ってほしいと思います」と続けました。

今回は、カンボジアの地方に暮らす小学校6年生、経済的に恵まれないため支援がなければ中学校で勉強を続けることができないを子どもたちの様子をご紹介します。彼らは、みな成績優秀で勉強が大好きです。そして、みんな口をそろえて教師になりたいと言うのです。
*以下にご紹介する子どもたちは、ダルニー奨学金を受け取る予定です。

サレム・クライさん(12才)

家の前で

近所の仕事するサレム

サレムの家族は、自分たちの畑を持っていません。両親は、ある日は近所の畑を手伝わせてもらい、また、ある日は日雇い労働者として生計を立てています。でも、その仕事は不安定で仕事をした日の収入は1日30,000リエル(日本円で約810円)です。それは、彼女、弟と妹の家族5人を養うには十分ではありません。サレムは休みの日に、ご近所に御用聞きに行って仕事をもらい、家計を助けます。また、両親の家庭もそれぞれに貧しかったので、サレムの父と母は小学校を卒業していません。両親は、勉強も学校も好きなサレムには学校に通い続けて、将来は彼女の夢である先生になり、自分たちとは違う人生を歩んでほしいと願っています。

ソカー・ドエウムさん(12才)

家の前で

ハス栽培を手伝うソカー

ソカーは7人兄弟の末っ子で、家族はハスを育てて生計を立てています。その収入は週に20,000~30,000リエル(日本円で約540~810円)です。それだけでは、家族7人が生活できません。彼女の兄や姉は小学校を中退して働いています。ソカーも、休みの日にはハス栽培を手伝います。学校での成績はいつも1番で、学校に行くことが大好きです。

ポブ・タイロンさん(15才)

教室の前で

竹かごを作るポブ

ポブの両親は、故郷の村で仕事が見つからなかったため、彼、兄と姉の3人を祖母に預け、タイに出稼ぎに出ています。両親は毎年400,000リエル(日本円で約10,800円)の仕送りをしてくれていましたが、最近は途切れがちです。ポブの兄や姉は経済的に余裕がなくて小学校を卒業していません。ですが、勉強が好きで成績も悪くない彼には中学校へ行ってほしいと兄と姉は口を揃えて言います。ポブは、家計を助け、学費を稼ぐために放課後や休みの日に竹かごを作ります。1日5~6個しかできず、その収入は350~420リエル(日本円で約9~11円)です。

スレイラ・プルムさん(12才)

家の前で

叔父の家で勉強をするスレイラ

スレイラの家族には、家も畑もありません。家族は叔父の家に住まわせてもらっています。両親は近所の湖で水草や森で野菜をとって生計を立てていますが、それらが収穫できる日は20,000リエル(日本円で約540円)程度にしかならない上に、全く取れない日もあります。

サヨーン・ドウエンさん(13才)

水を運ぶサヨーン

叔父の家の前で妹と

サヨーンは3人兄弟の真ん中、両親は、畑も家もなく、地元に働く場所がないため出稼ぎに行き、兄弟3人は叔父の家で暮らしています。両親は、毎月子どもたちに200,000リエル(日本円で約5,400円)を送ってくれますが、子どもたちの生活費と学費にはとても足りないので近所の人や叔父に借金を頼むのですが彼らも貧しいので、これ以上の借金のお願いはできません。サヨーンは成績も優秀で学校も好きなので学校に通い続けたいと思っています。

ティウ・スレイカッシさんからのビデオ・メッセージ

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ベトナム ベトナム 奨学生の紹介

【元奨学生のその後】

人生の岐路 <ベトナム元奨学生からの手紙>

親愛なる民際センターの皆様へ

私は、タイビン県チエンハイ郡ナムチン地区に住むングエンハンホアと言います。今年、私はナムチンハイ高校の2年生になりました。
2年前、私が中学校3年生の時、父が仕事中の事故で亡くなりました。それは私の人生で一番の不幸でした。そして、不幸はそれだけではありませんでした。父の死は、母を追い詰め彼女は病気になってしまいました。私はもはや親からの支援は受けられず、私は家計を助けなければなりませんでした。それは私が学校を辞めなければならない理由で、私の夢は潰えたのだと思っていました。

しかしながら、ある時学校の校長先生が私の家に来て民際センターが1年の奨学金を進めてくれたときは本当に嬉しくて幸せな気持ちになりました。その時の私の幸せな気持ちをどう表現したらいいのかわかりません。

民際センターが私を支援してくれたのは1年だけでしたが、その支援を受けた時、私は人生の岐路にいました。
学校を辞めて父の様に、多くの危険と向かい合わせの労働者として働くか、勉強をして自分の人生を自分で決めて良い環境の中で職業を決めることができるのかと言う人生の岐路だったのです。
母は病気で私と弟を養う事はできません。そのどうにもならない困難を私は超えることができなかったのです。
ですから、その奨学金支援は私にとって、本当に重要なものだったのです。

民際センターの奨学金は、私の中学校4年生生活を後押ししてくれました。
それは、物質的な援助だけでなく、私の心までを豊かにしてくれる支えになりました。

私は、タイビン県主催の科学技術賞を受賞しました。そして、成績優秀で中学校を卒業し、高校1年生で優秀生徒賞を受賞しました。

ングエンハンホア君

(元奨学生で成績優秀のングエンハンホア君)

私は、民際センターの支援に本当に感謝しています。民際センターは私の未来は明るいということを感じさせてくれました。
さらに、私は不幸であったけれど周りには情け深い人たちが身近にいるという事を感じさせてくれました。
それは、今までもそしてこれからも変わらないでしょう。言語、文化、信条、宗教の壁を越えて人間は暖かいのです。
また、私は民際センターベトナム事務所所長ングヒエムカムバンさんに大変感謝しています。こんな地方まで来て私と友達に奨学金を渡してくれたのです。
私たちの勉強を後押ししてくれた彼女がこれからも健康で美しい人生であることを心よりお祈り申し上げます。
また、これからも困難な状況にある人を多く助けてくれることを願っております。

新学期の始まるこの機会に私はすべての民際センターの職員の方そして支援者の方に感謝申し上げ、皆様のさらなるご健勝をお祈りいたします。

ングエンハンホア

ベトナムの奨学生のお手紙を受けて

ングエンハンホア君、心温まるお手紙ありがとうございました。英語もびっくりするほどよく書けていました。すべてにおいて成績優秀なのですね。手紙をくれたングエンハンホア君は、1年だけ支援を受けて勉強を続けることができました。

しかし、彼の手紙から物語られるようにまだ、沢山の子どもたちが支援を必要しています。

工場で働く元奨学生の声

グエン・バン・グエンさん(元奨学生)

私は、タイビン省でEDF-ベトナムが最初に活動を開始したNam Hong中学校出身で、2013年度から4年間ダルニー奨学金の支援を受けていました。現在高校には行かず、働いています。私を支援してくださった方たち、特に奨学金を提供してくださった支援者の方は、そのニュースを聞いて、残念に思い、悲しむかもしれません。しかし、社会に出て働く現在の私の近況について、お伝えさせていただければと思います。
中学校4年生を修了した時、私の家族の経済状況は非常に厳しく、私を高校に行かせることはできませんでした。それに加えて、私の母はその時に重い病にかかっていました。病気を患っている母の薬代を稼ぐために、働くことを決心しました。
私は就職活動を通じて、工場や会社は最低でも中学校卒業の資格を応募者に求めていることがわかりました。就職活動を通じて、4年間にわたるダルニー奨学金と支援者様のご支援のおかげで、私が就職活動において有利であることを痛感しました。ダルニー奨学金がなければ、私は中学校卒業さえもできなかったのです。中学校卒業資格があったからこそ、今の仕事をみつけ、十分な給料を得ることができたのです。
何の支援も受けていない、地方の貧しい子どもにとって、就職するにあたって、中学校卒業資格は、かけがえのないものなのです。
私は、現在食品工場で働いていて、1ヶ月3,500,000ベトナムドン(約17,000円)の収入があります。現在会社の寮で生活しているので、生活費はほとんどかからず、母の治療費として給料のほとんどを仕送りしています。
17歳となった今、よい仕事に就いて、自立するだけでなく、母の面倒までみることができています。そんな私は、社会で成功していると言えるのではないでしょうか。
高校で勉強していない私に落胆せずに、現在の私に安心していただければ嬉しいです。
ダルニー奨学金の支援がなければ、現在の私はありませんでした。ご支援者とEDF-ベトナムへのご恩を忘れたことはありません。皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。

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【現奨学生の紹介】

息子には同じ思いはさせません <奨学生の母親からの手紙>

※この手紙は奨学生のお母さんにインタビューし、その中学校の先生が書いたものです。

支援者様
民際センターの皆様

私の名前は、ヒエップンガヒア 地区 ジーンクアン町に住んでいるカ・バットと言います。
私の息子は、中学校に通っています。私自身は貧しい家庭に生まれたので、学校へ行く機会はありませんでした。

奨学生カ・バット

私は読み書きができません。私は成長しそして結婚しました。夫も読み書きができませんでした。
私の人生は、安定しない賃金の安い仕事にしかつけない事で、さらに辛いものになりました。
また、読み書きができないため、会社には応募できません。私たちの今の仕事は肉体労働です。
その後も、読み書きができないために仕事を見つけるのは簡単ではなく、時には追い詰められました。
教育なしにはやりたいことは何もできず、仕事も得られません。
好きな道を進むことができないのです。

息子が生まれたときに自分の人生を振り返り、さらに辛くなりました。
そんな人生を送ってきたから私は、どんなにお金がかかっても自分の子ども達は、学校に行かせようと心に決めました。
そして、 2016年、私の息子は中学校に通うことになりました。

学校の先生のご尽力で、息子は、日本のダルニー奨学金を受けることができたのです。
私はとても感動し、民際センターのベトナム事務所、支援者の方と中学校の校長先生に本当に感謝しました。

奨学金を受け取ったとき、他の親御さんがサインできているのに私は拇印を押さねばならなくて、とても恥ずかしい思いをしました。
なぜなら、私は子供の頃、学校に行けなくて字が書けないからなのです。
思わず、息子を抱きしめて「よく勉強して私とお父さんを喜ばせてね。私たちは他の人たちと比べていつもひけ目を感じていたのよ。
あなたは、精一杯頑張って自分の人生を変えなさい。」と言いたくなりました。日頃から、息子にはよく勉強するように言っています。

ベトナム奨学生の母親からの手紙

最後に、民際センターのベトナム事務所と中学校の校長先生が、うちの息子と他の貧しい生徒を支援してくれたことにいつも感謝しています。
本当にありがとうございました。

カ・バットより

カ・バットさんの息子さんは、支援を受けることができましたが、まだ支援を必要としている子どもたちがベトナムには沢山います。

苦しみを乗り越えて

今回は、奨学生のナムプー中学校3年生ファムカンデゥイ君からのお手紙を紹介します。手紙の中には、彼が背負った悲しみとダルニー奨学金の支援を受けることができた感謝の思いが綴られています。

<ファムカンデゥイ君からのお手紙>

私の過去は悲しいことばかりでした。そして、小さい時は自分の病気ーHIVが何かを知りませんでした。近所の子どもたちは、「おまえの家族みんなHIVだ。あいつとは遊ばないよ。」と言い、私を嫌っていました。そして、気にすることもなく家に帰って母に自分がなぜそんなことを言われるのかを尋ねました。彼女は何も言わず、ただ、私を抱きしめ泣きました。
私は、友達や周りの人からの屈辱や差別を受けながら生きてきました。そんな中、父はHIVで亡くなりました。私と母はやり場のない思いを抱え、いつも泣いていました。そんな母を見ていると、私は時折辛い思いに耐えられなくなりました。その後、私たちはそれまで住んでいた場所を離れ、祖父の故郷タイビン省で暮らすことになりました。そして、母はそこのHIV患者を支える団体に入りました。そして、時は流れ、人々のHIVに対する見方が変わってきました。母は毎月その団体の活動に参加し、同じ境遇の男性と知り合って再婚しタイビン省を離れました。
母がいなくなってしまい私は悲しくて絶望し孤独でした。そして、年老いた祖父と二人きりになりました。時に自分の人生が意味にないものに思われ、なんだかの理由で家を離れざるを得なくなり学校を辞めることになるのかもしれない・・・という不安が心をよぎりました。でも、私の事を考えてくれる親戚、先生、友達の事を思った時、暗い過去を忘れることができました。

ナムプー中学校3年生のファムカンデゥイ君

今は、体調に気を付けて学校に通いながら、毎月病院に行って薬をもらっています。休みの日には祖父の仕事を手伝って、少しですが生活を助けています。周りの人からの気遣いもあります。学校の先生は勉強を見てくれますし、勉強にも興味を持つことができます。

ファムカンデゥイ君とHIVの薬

去年、私は民際センターからダルニー奨学金をもらっていた中学4年の生徒が、無事に中学校を卒業するのを見ていました。そして、私も同じ様に奨学金をもらって中学校を卒業したいと強く思いました。
私はいつまで生きられるかわかりません。薬を飲むとき自分の置かれた状況の困難さと痛みを思うのです。でも、私は今年ダルニー奨学金を受けることができました。私の傍らには支援者の方がいてくれます。そう思うことで自分の将来の可能性が広がるように思えるのです。

タイビン省タイハイ郡ナムプー中学校3年生ファムカンデゥイ

ファムカンデゥイ君は悲しい思いをましたが、今は奨学金を受け取ることができ安心して勉強を続けています。話にもあるようにベトナムの地方には支援を必要としている子どもたちがいます。ぜひ、皆様の温かいご支援をお願い致します。

 

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ミャンマー ミャンマー 奨学生の紹介

【現奨学生の紹介】

 イイカインさん(新中学1年生)

私はキャウングコン(Kyaung Kone)小学校5年生のイイカインです。
私は僧侶の父、日雇い労働者の母、そして弟と妹の5人家族です。弟は小学2年生で、妹はまだ学校に行っていません。
父は病気を患っており、母は働いているので、私が毎日の食事の支度や、掃除、妹の面倒を見なければなりません。
このような家の事情があるので、これから勉強を続けていけるか不安があります。
それでも、私はどうしても学校へ行きたいのです。そのために毎日一生懸命勉強しています。
私の夢は大きくなったら、先生になることです。

家事を手伝いながら、夢のために勉強を頑張るイイカインさん。

 サンダー・リンさん(中学4年生)

私は中学4年生のサンダー・リンです。私は両親と小学4年生の弟の4人家族です。私が小学生の時は、生活費が足りず、大変な思いをしました。
しかし、中学1年生から4年生まで民際センターから奨学金を受けることができたので、とても助かりました。
いただいた奨学金で学費を支払いました。奨学金のおかげで私は安心して勉強することができました。支援者してくださったみなさんに心から感謝しております。
私は来年から高校生になります。ですが、父は病気で、母は一人で家族のために働いているので、高校に進学するのが大変です。
また、私は父の看病もしなければなりません。それでも私はどうしても勉強したいのです。

学ぶことに熱心なサンダー・リンさん。

 ダルニー奨学金担当の先生

生徒のために一生懸命な先生。

皆さん、こんにちは。私はキャウングコン(Kyaung Kone)中学校に勤務している教員です。民際センターが私たちの中学校だけでなく、フタンタピン( Htantapin)町の貧しい子どもたちに奨学金を支援してくださったことを、子どもたちにかわって感謝の言葉を申し上げたいと思います。私は、教員をしていて、貧しい子どもたちの姿を見るたびに、考えることがありました。それは、私たちはどうしたらこの子たちが笑顔で勉強している姿を見ることができるかでした。
フタンタピン( Htantapin)町では、民際センターが貧しい子どもたちへ奨学金の支援をしてくださったので、私たち教員は子どもたちの笑顔を見ることができました。それに保護者の方々も、子どもたちが安心して勉強できることに喜んでおりますし、私自身も大変うれしく思っております。本校は来年度中学1年生になる生徒が25人いて、そのうち20人の生徒が貧しい家の子どもたちです。
彼らが奨学金を受けることができればこんなに嬉しいことはありません。今後ともよろしくお願い致します。

 

 

 モー・モー・カイさん(中学2年生)

ヤンゴンの チャンタピン 郡区のヨーグワ基礎教育高等学校に通う、モー・モ・カイ(中学校2年・女の子)さんは、母親、姉、妹2人の合計5人で暮らしています。父親は、出稼ぎに出ていて家にはいません。母親は病弱で働くこともできず、家で休んでいます。2番目の姉は、生活のために中学校を中退して近くの工場で働いており、妹は小学校1年と4歳です。一番上の姉は、既に結婚していて、別の家で家族と生活しています。

家事は、母や姉にかわって、彼女が行っています。学校から帰ってきたら、掃除、洗濯、炊事などの家事をするのですが、彼女の家には電気がないので、暗くなる間に全てを終えなければなりません。

家事を終えると、やっと勉強の時間となりますが、電気がないので思うように勉強するのは難しいです。

学校がある間は放課後に家事をすればいいのですが、長い休みになると日中は日雇いの仕事に行かなければなりません。

日々勉強する時間もままならない彼女ですが、将来教師になり、自分と同じ境遇の貧しい子どもたちに教育の機会を与えることが目標です。

 

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