カンボジア

カンボジアってどんな国

カンボジア

人口の9割はクメール族(カンボジア人)。ほか、チャム族、ベトナム人、華僑、その他民族などから構成されます。
面積はおよそ18万平方キロで、日本の半分くらい、北海道の倍くらいです。ベトナム、ラオス、タイの3国と国境を接します。南はタイランド湾に接し、あとの3方は標高400メートルから1500メートルという低い山地や山脈に囲まれ、中心部は盆地のように平らで低い地形をなしています。
国土の多くを森林が覆い、耕作面積は20%程度。全長4200キロ(うちカンボジア国内は500キロ弱)の雄大なメコン川、そして雨季には1万平方キロにまで大きくなり、乾季には半分以下に縮小する広大な湖・トンレサップ湖が穀倉地帯に水を供給しています。
一時は東南アジア一帯を制圧したクメールの王朝は、アンコール遺跡のレリーフからも見て取れるように豊かな伝統文化を育んでいました。ですがその文化・芸能はポル・ポト時代に「思想を毒する」として排除され、技術の伝承に必要な資料や人材をたくさん失ったと言われます。現在、残っている技術者たちを中心に、芸能文化を受け継ぐ努力が続けられています。

【基本情報】

面積:18.1万平方キロメートル(日本の1/2弱)

人口:1,601万人

一人当たりのGDP:1,384米ドル

(出典 外務省)

【支援地域情報】


 

 

 

 

 

ダルニー奨学金を提供している対象県は、現在、コンポンチュナン、カンポット、タケオ、ポーサット、コンポンスプーの5県です。

【大量虐殺の歴史と教員の不足】

アンコールワットのある首都プノンペンには、悲しい歴史を残す博物館もあります。

カンボジアでは、1970年カンボジア内戦が勃発。ポル・ポトが率いるクメール・ルージュという政党が勝利しました。
その後クメール・ルージュは教師や医者、資本家は、政府に対して発言力を持つ恐れがあると考え虐殺。
虐殺はどんどん広範囲に及んでいき、「本を読んでいる」というだけで殺されてしまった人もいるそうです。この時期に、50~300万人が犠牲になったといわれていますが、いまでも正確に判明できていないのが実情です。その結果、カンボジアには知識を持たない人たちだけが残されてしまいました。

1979年にポル・ポト政権は打破。
カンボジア政府の統計によると、経済成長率は、2004年に10%、2005年に13.4%、2006年には10.4%と驚異的なスピードで回復していきました。
しかしこの成長や支援も、農村部までには至っていません。
ユニセフの調査によると、2007~2010年の中学校就学率は、男子で36%、女子で32%。最新の2011~2016年の調査でも男子44%、女子49%となっています。
カンボジアでは、知識人が大量に虐殺されたため、教員の不足が課題になっています。教員が不足を補うため、午前と午後で生徒を入れ替えて授業を行う「二部制授業」が取り入れられていました。
義務教育は憲法で受けることが定められており、授業料も無料です。しかし、農村部では子どもであっても家庭のために働かなければならず、学校にいくことができない子もいます。在籍はしているものの、出席日数が足りず留年・退学する子どももいます。
ユニセフの教育指標によると、「初等学校に入学した児童が最終学年まで残る割合」は、男子で41%、女子で55%となっています。

カンボジアの教育事情

【現地の教育の概要と特徴】

学校制度

6・3・3・4制

義務教育期間

6歳~14歳(小学校6年間、中学校3年間)

学校年度

毎年10月~翌年7月(8月~9月は夏休み)

学期制

【2学期制】
1学期:10月~4月上旬
2学期:4月下旬~7月

教育概要・特色

○1970年代後半の独裁政権により、カンボジアの教育システムは崩壊し、教員や教科書が極端に不足するなどの危機的事態に陥った。
独裁政権崩壊後は、各国の支援を受けながら、教育システムの復興が現在も続けられている。
○教室や教師の絶対数が不足しており、午前/午後の二部制授業の実施を強いられている。また、不十分な学習時間を補うため、放課後に民間の学習塾に通ったり、同じ学校の先生が有料で学習指導をしているケースも見られる。
○学習内容は、国語・書き方・作文・算数・歴史・理科等が中心であり、美術・音楽・体育と言った科目はほとんど行われていない。中学校から外国語教育が行われており、英語か仏語を選択する。

【現地の学校段階別教育の概況】

義務教育

9年間の義務教育を受けることが憲法に規定されているが、小学校の就学率が約69%、中学校に至っては約17%と極端に低くなっているのが現状。
特に地方農村部では子供が貴重な労働力となっているため、義務教育課程においても、出席日数が足りずに留年する児童も多くなっている。

義務教育の学校段階種類および就学状況

小学校(初等教育):6歳~11歳(第1~第6学年)、就学率約69%
中学校(前期中等教育):12歳~14歳(第7~第9学年)、就学率約17%

カリキュラム・教授言語

教授言語はクメ-ル語

義務教育段階の学費

義務教育は原則無料であるが、制服や学用品等の必要経費は保護者が負担する。

スクールインフォメーション

年に2回テストがあり、100点満点で採点され試験後に書面で成績評価が報告される。
課外活動、生徒会活動、カウンセリングは一部でしか実施されておらず、PTAも活発ではない。

(出典:外務省 諸外国・地域の学校情報)

カンボジアが抱える教育問題

9年間の義務教育の普及を目指す政府。しかし親の負担は大きい

 

EDF-Cambodia(カンボジア事業所の紹介)

【カンボジア事業所長チャンディ-からのメッセージ】

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カンボジアの奨学生

 奨学生の声 <リンクはこちら>

【奨学金申請中の子ども】

カンボジアの地方で経済的に恵まれない子どもたち、とりわけ学校も勉強も好きだという子どもたちに将来の夢を聞くと、その多くが「先生」と答えます。もちろん、カンボジアにおいても先生以外に多種の職業があります。医者、弁護士、警察官、看護師、歌手、調理師・・・日本のそれらと何ら変わりません。なのに、なぜ彼ら彼女らは「先生になりたい」と答えるのでしょうか。民際センター・カンボジア事務所・所長のチャンディーにその疑問を投げかけました。「身近にいる大人で職業を持っている人が先生しかいないからです」と彼は言います。「家に電気も通っていないので、テレビを見たり、ラジオを聞くこともありません。また、彼らの両親も小学校を出ていないため、読み書きが十分にできず得られる情報は限られます。そのような環境の中で育っている子どもたちは世の中に対する視野が狭いのです。もちろん、教師は立派な仕事だけれども他の選択肢があることもゆくゆくは知ってほしいと思います」と続けました。

ライダさん

ライダの両親はどちらも小学校を卒業していません。2人とも農家で田んぼを所有していますが、面積が小さく雨水頼りの農業で、家族が1年間食べていけるだけの収穫量はありません。さらに悪いことに、父は関節炎、母は高血圧で十分働けません。その結果、少ない収穫量がさらに減っています。

 

カンボジア奨学生のライダと家族

    <お母さんと妹。家の前で>

こうした状況で、17歳のお兄さんは小4、15歳のお姉さんは小1で学校をやめ、働きに出ました(お兄さんは現在、消息不明です)。6人きょうだいの3番目のライダも食べるものがなくなると、学校を休んで森に入って食べ物を探します(つまり働きます)。それを家族で食べたり、市場で売ったりします。そんな日は、8キロ先にある学校を休まなければなりません。それ以外にも、幼いきょうだいの面倒を見たり、炊事や洗濯をしたりすることもライダの仕事です。以前に5歳の妹が上半身に大やけどをしたときはプノンペンの病院に連れて行きましたが、お金がないので1回行っただけでした。ライダの好きな科目はクメール語(国語)。将来は先生になりたいと思っています。だから、ライダはどうしても中学に進みたくて、ダルニー奨学金を申し込みました。奨学金をもらえなければ、兄や姉のように、中学には行けず働かなければなりません。果たして中学校に行けるのか、行けないのか・・・。
ライダは働きながら、ふと自分の将来を考えます。

【現奨学生の紹介】

オル・チャナンさん

家の中で勉強をするオル

家の前で家族と

オル・チャナンは、カンボジアのカンポン・トム県に住む中学校2年生、4人兄弟の一番上です。彼女の家族はとても貧しく、家はヤシの皮の壁とプラスチックの屋根でできていて、昼間、家の中はとても暑く、雨風が強いときは一部が壊れてしまいます。オルは、将来は看護師になりたいと思っています。それを目標に生懸命勉強して、その結果、成績は良く28人いるクラスメートの中で成績は上から3番目です。彼女の両親は、猫の額ほどの畑を耕す以外は、安定した仕事はありません。その他、日雇い労働を行いますがその収入はわずかで家族が暮らしていくには十分ではありません。両親は、教育を十分には受けていません。でも、彼らの娘、オルには勉強を続けて自分たちとは違う安定した職業についてほしいと思っています。彼女も、教育を受けて将来は専門性のある仕事について、少し空いた時間には予習復習をしたいと思っています。でも、今は空いた時間に、畑で耕作や刈り入れを手伝います。

【元奨学生のその後】

ソドン・ペルンさん

民際センターで、教育こそが国の発展に貢献し、貧困を撲滅すると考えており、は2007年からカンボジアの地方における教育支援を続けています。そのような中で、ようやくその元奨学生たちがカンボジアの社会に貢献しているという話を聞くようになりました。今日は、その中の一人、現在は教師養成短期大学に通うソドン・ペルンさんの紹介をします。

貧しさから救ってくれたのは「ダルニー奨学金」でした。

私は、ソドン・ペルン、20才、今は教師養成短期大学の1年生です。来年、この短期大学を卒業して教師になります。自分が教壇に上がって子どもたちに勉強を教えることを想像しただけでとても誇らしい気持ちになります。

教師養成短期大学の1年生 ソドン・ペルンさん

私は、ダルニー奨学金のお陰で、中学校を卒業することができました。その頃、私の通う中学校では、9人の生徒たちが私と同じく支援を受けていましたが、そのほとんどが高校に進学することはできませんでした。

小学校の卒業を前にしてダルニー奨学金を受け中学校に通うことができると聞いたとき、私は本当に嬉しかったのです。その頃、私の家はとても貧しく、ダルニー奨学金がなかったら中学校に通うことはできなかったでしょう。経済的に恵まれない状況の中でつらかった時、遠い日本で自分を応援してくれている人がいると思うと勇気が湧いてきました。そして、無事に中学校を卒業することができました。

私が、高校に行き始めたころ、家族の経済状況はそれまでになく大変で、高校を辞めなければならない様な状況が何度もありました。でも、私は勉強が本当に好きで、これまで私たち家族を苦しめてきた「貧しさ」から抜け出したいと考えていました。その時、子どもたちに英語を教える仕事を見つけることができ、そこで稼いだお金で高校を卒業することができたのです。私は本当に幸運でした。

私は、自分を支援してくれた日本の方に感謝の言葉を伝えたいのです。その就学支援は、私に教師になって次の時代を担う子どもたちを教え、自分自身は自立できるという明るい未来をくれました。ご支援していただきました方、本当にありがとうございました。

このように私に希望を与えていただいたご支援者様へ、改めまして心からのお礼を申し上げるのとともにあなた様の末永いお幸せを心よりお祈りいたします。

世界地図の前で夢を語るソドンさん

ソーン・チャンさん(ビデオ・メッセージ)

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