ベトナム

ベトナムってどんな国

ミャンマー

キン族(越人)が約86%、他にモン族、ムオン族、ヌン族、クメール族など53の少数民族がい ます。
面積は32万9,241平方キロメートルで、日本より少し小さいですが、日本と同じく縦に細長 くカーブし長大な海岸線を持ち、さらに国土の4分の3がラオスやカンボジアとの国境地帯 にそびえるアンナン山脈などの山岳地帯。南部には、メコン川が注ぎ込む豊穰のメコンデル タ。日本と同じく南北で大きく変化するバラエティ豊かな気候風土を持ちます。共通するの は海・山・里から食物が豊富に獲れることで、北部ハノイも南部ホーチミンも一大穀倉地帯。 アジアの自然の恵みを存分に感じられる国がベトナムです。

【基本情報】

面積:32万9,241平方キロメートル(日本の約北海道を除く面積)

人口:9,554万人

一人当たりのGDP:2,343米ドル

(出展 外務省)

【支援地域情報】

 

 

 

 

 

ダルニー奨学⾦を提供している対象県は、現在、タイビン省およびドンナイ省です。
ドンナイ省はホーチミン市の東隣に位置します。ホーチミン市の隣ということで、工業化が速いスピードで進んでいます。しかし、その一方で貧富の差が拡大し、奨学金を提供する同省のディンクワン郡は平均月収が約80米ドル。しかも、農村部に行けば行くほど収入は少なくなります。
※ドンナイ省には、1つの都市部と、10の郡があります。

タイビン省は、ハノイ首都から約130kmで海に接する東南方面に位置します。また、ホン川の下流でタイビン省の省民の仕事はほとんど農業です。ドイモイ改革以来、市民の生活はよくなりましたが、省全体の平均月収が約113米ドル。
※タイビン省は、1都市部と、7の郡があります。

【海外諸国との関わりの歴史】

ベトナムは、1000年以上前から、海外諸国と関わりを持ってきた国です。
かつては中国への朝貢国であり、938年中国から独立し、李王朝の成立により、首都をタンロン(現在のハノイ)に定めました。 1847年には、フランス軍艦がダナンを砲撃し、フランスの侵略が始まります。
1885年には、ベトナム全土がフランスによって完全支配されます。フランス領インドシナとして植民地支配を約60年にわたり受けていました。
第2次世界大戦後、1945年ベトナム共産党ホーチミン主席による「ベトナム民主共和国」独立を宣言するも1946年11月、ハイフォン(海防)でのフランス軍との衝突から、フランスに対する独立戦争が起きます。フランスは、南部にコーチシナ共和国(ベトナム国)を樹立し、フランスが南部を統治します。もともと北部はフランスの植民地でしたから、フランスは北部の独立を認めず、フランスと北ベトナムの戦い、インドシナ戦争がはじまります。ベトミン軍は、中国と世界中の共産化を目指すソ連から援助を受け、フランスはアメリカから援助を受けました。1954年ジュネーブ休戦協定により,17度線を暫定軍事境界線として南北が分離します。その後、1962年2月、アメリカ合衆国はサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入によるベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まり、1965年にはアメリカが北ベトナムの爆撃(北爆)を開始し、本格的な戦争に突入します。東西冷戦の象徴の戦争としても位置付けられ、ベトナム全土が戦場となり、アメリカ軍が撒いた枯葉剤による後遺症など、悲しい歴史として記憶されています。1973年パリ和平協定にて,アメリカ軍は撤退し、サイゴンの陥落によりベトナム戦争は終結しますが、いまでも、その後遺症による影響は色濃く残っているのです

ベトナムは、1986年に市場開放政策(ドイモイ)を実施して以来、経済成長を続けています。しかし、一人当たりGDPはそれほど高くなっていません。 特に農村部では経済発展の遅れが顕著になっています。 ベトナムでは小学校5年、中学校4年、高校3年。この期間を「普通教育」と呼んでいます。 また義務教育は小学校と中学校の9年間とされていますが、ハノイなどの都市部以外では小学校5年間のみとされているところもあります。 また都市部においても施設の不足が課題となっています。そのため、午前と午後で生徒を入れ替えて授業を行う「二部制授業」が取り入れられています。

ベトナムの教育事情

【現地の教育の概要と特徴】

学校制度

5・4・3・4制

義務教育期間

6歳~15歳(1学年~9学年)

学校年度

9月5日~5月25日(年・学校により、変動・相違あり)

学校年度

【2学期制】(年・学校により、変動・相違あり)
1学期:9月第1週~1月中旬
2学期:1月中旬~5月下旬

教育概要・特色

ベトナムにおける義務教育は、小学校から中学校課程終了の第1~第9学年までであるが、ハノイなど都市部を除いたべトナム全体の就学は、小学校課程終了の第5学年までとなっている。
一方、都市部を中心として、教育施設が児童生徒数に対して大幅に不足していることから、子どもたちは午前組・午後組の2つの登校組に分かれ、同一教室を2回使用する2部制が採用されている。
さらに、学区制がないため、評判のよい学校へ児童生徒が集中する結果となっている。

近年、日本に対する関心も年々高くなっており,日本語を学ぶベトナム人は4万人以上で,ハノイ,ホーチミンを含む5地域の中学校・高等学校では,日本語を学習しているクラスもある。

【現地の学校段階別教育の概況】

義務教育

小学校は全国に15,254校、児童数は7,790,009人。中学校は全国で10,312校、5,138,646人の生徒が通学している(いずれも2015年の統計)。小学校は週休2日(木・日曜日が休み)だが、中学校は日曜日のみ休みとなる。

義務教育の学校段階種類および就学状況

小学校:6歳~11歳、1年生~5年生、就学率98.6%
中学校:12歳~15歳、6年生~9年生、就学率90.4%

カリキュラム
教授言語

教授言語はべトナム語のみ。

義務教育段階の学費

【授業料】 無料~60万ベトナムドン/1年
【その他の費用】 教材費、学校建設費など

(出典:外務省 諸外国・地域の学校情報)

▼ ベトナム貧困地域における教育教育の重要性

  ベトナム 教育によりみいだせた希望

 小さな川は歩いて通学。大きな川は船に乗るが乗船料金は月18ドル

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EDF-Vietnam(ベトナム事業所の紹介)

【ベトナム事業所長バンからのメッセージ】

【ベトナム事業所スタッフ:ディンさん】

 

 私の名前はチャウ ホン ディン(Chau Hong Dinh)です。EDF-ベトナム(事業所)の代表のバンさんから声をかけていただき、2013年からEDF⁻ベトナムで、経理とコーディネーターのお仕事をさせていただいています。主に、会計業務と奨学生のデータの管理をしていますが、私の性格にとても合った仕事だと思っています。私はハンドメイドのものが大好きで、普段、折り紙を折ったり、皮財布を作ったり、使えなくなった物を使える物へとリメイクすることが好きです。おいしい料理を作ることも好きです。

 EDF-ベトナムで6年働く中で、気持ちの変化を少し感じています。幼い頃からずっと、私は何不自由なく生活してきました。両親がとても気にかけてくれ、問題や困難に直面することもありませんでした。しかし、ダルニー奨学金の志願者たちのファイルに書かれている境遇を読む時、私の人生がいかに幸せであったかということに気づかされました。今では、この仕事を私はただお金のためではなく、もっと深い意味のあるものとして捉え働くことができています。そして、毎年私は全ての奨学金志願者のファイルをしっかり読んで理解し、公正に判断しようと努めています。

 あまり出張にでかけることはないのですが、初めて、タイビン省に行かせていただいた時のことは忘れません。一人で遠く出かけること自体も初めてでした。EDF⁻タイ事業所のサンペットさん、プロイさん、プーさんがタイビン省に来てくださりお会いしたのですが、緊張しすぎて死にそうだと思うほどでした。私と同じく会計の仕事を担当されているプロイさんが気にかけて話してくださり、少しは落ち着くことができました。思っていた以上に皆さんはフレンドリーに私に接してくださり、時々その時のことを思い出しては、なぜ私はあんなに心配し緊張してしまったのかと思います。次回はもっとよくできると思っています。

       

        高松城にて                   お子さんと

日本の支援者の皆様へ

 EDF-ベトナムで働き始めた頃、なぜ縁もゆかりもない国の日本の人々が、他国であるベトナムの見ず知らずの⼈々を助けることができるのか不思議で、私には理解できませんでした。しかし、それが⼈として⾃然なことであり、他者を思いやる⼼なのだと今では思うことができます。ある⼈々は⼈⽣を変える選択ができます。私をその⼀⼈としてくださり、ありがとうございます。皆様のご支援が、⽣徒とその家族の今⽇、明⽇の⽣活を、そしてこれからの⼈⽣を変える助けになっているのは確かです。たくさんのNGOが世界中にある中で、EDFを選んでくださり、本当にありがとうございます。私たちスタッフは皆様のその愛を、受けるべき⽅々に届けるように頑張ります。皆様の親切と、慈悲深いその⼼に感謝しています。

*EDF︓「Education Development Foundation、⺠際センターを含む各国事業所の総称名」

【ベトナム事業所スタッフ:トゥイさん】

 

私の名前はパム ティ トゥイ (Pham Thi Thuy)です。日焼けで肌が黒いのでニックネームは”ミス・ブラック”です。現在、EDF-Vietnam(ベトナム事業所)で働いております。趣味は料理、害獣の駆除、そして社会貢献活動です。
EDFとの出会いを書こうと思えば、一日あっても書ききれませんが、この10年を振りかえってみたいと思います。

2009年にタイビン省でバンさん(現EDFベトナム事業所の責任者)に初めて会いました。彼女はその当時NGO “Mai nha Viet Nam – Vietnam’s roof”を運営し、ベトナムの障害者の方々が作ったハンドメイドのおもちゃを日本で販売するチャリティープロジェクトを行っており、収益の一部は、貧しさのため、中途退学してしまう子どもたちを助ける奨学金となっていました。社会貢献が大好きな私は、自分の故郷でとても意味のあるプロジェクトを見つけることができたことが嬉しく、バンさんにボランティアでいいので活動に加わりたいと願い出ました。驚くことに短い面接の後、 NGO “Mai nha Vietnam”の正職員、コーディネーターとして雇っていただけることになりました。これまで学んできた専門分野(ダラット大学で社会奉仕活動とコミュニティーの発展について学び卒業)が活かせる仕事に就くことができるということで、その時の幸福感は言葉では言い表せないほどでした。

バンさんのNGOのプロジェクトは2012年に終了し、バンさんから今度はEDFのダルニー奨学金のプロジェクトに誘っていただきました。楽しみであると同時にプレッシャーを感じました。なぜならこれまでのバンさん個人のNGOとはまた違い、EDFはよりプロフェッショナルで、その当時から名の知れた国際的なNGOだったからです。つまり、EDFのコーディネーターは、より能力が問われますし、まず現地の協力者との関係を築いていく必要があると感じました。

      

EDFでの最初の仕事は、国際NGOの知識があり、教育プロジェクトの経験があり、経営マネジメント能力のある協力者をタイビン省で探すことでした。バンさんから最も重要と言われた選考基準は” 公正であること。EDFからの寄付金の用途・管理に透明性があること。”この小さな町でバンさんが求めるような協力者が見つかるかどうか、私は心配しましたが、貧しい故に10代なのに学校を中退し、お金を稼ぐために働かねばならない子どもたちがいることを思うと、”安心してください。私が協力者を見つけます。”と約束していました。

バンさんとの約束を守るため、タイビン省でたくさんの調査と審査を行いました。そしてその中で、タイビン省で唯一バンさんの希望に合い、EDFの支援を最大限に活かせるのは、赤十字社ということが分かりました。2012年の末、赤十字社にEDFの活動のサポートをタイビン省でして欲しいこと、そしてEDFのプロジェクトの協力者となって欲しいことを伝えました。赤十字社は、熱心にEDFのプロジェクトに協力するだけでなく、赤十字社の仕事も私に与え、EDFプロジェクトの担当をしつつ、赤十字社と関連したいくつかの他の国際的なプロジェクトにも参加しました。EDFと私の出会いが赤十字社との関わりをも開き、それによって私の喜びは増し加わりました。両方の組織から安定した収入をいただき、両方とも、私が専攻してきたことが活かされる場所だからです。

EDF-Vietnamでは、私は北部地域のタイビン省を担当しています。EDFと赤十字社を結ぶ役割をしつつ、ダルニー奨学金プロジェクトの対象地域の関係者とEDFを結ぶ働きをしています。タイビン省におけるEDFの年間活動計画を立て、学生の生い立ちなどの情報を調査するプロジェクトも行いつつ、奨学金の支援家庭の審査や、プロジェクトの支援物品が学校でしっかり管理され渡されているかなど透明性の検証、またEDF Japanに奨学生情報の更新や写真の送付をしたり、海外からEDF関係者が来訪することになればタイビン省の政府に提出すべき書類を準備します。

EDFで働く中でたくさんの恵まれない子どもたちと接し、感動を覚える教育の現場を見るとともに、学校や政府からの助けもたくさん受けてきました。また日本からのEDF関係者や支援者の方々を迎えた時も、たくさん素晴らしい思い出があります。しかし、ここで2つ最も印象的だった出会いを紹介します。

1つ目は、 2014年2月EDF‐Thai(タイ事業所)からスタッフがベトナムに来られた寒い冬の日のことでした。農村地域にある生徒の家を訪れることになっていましたが、とても道幅が狭い場所で車が通れなくなり、目的地までたどり着けないという状況になりました。私と赤十字社のボランティアの人たちで、その地域の見ず知らずの人々からバイクを借りることになったのですが、その地域の学校に行けない貧しい子どもたちを支援している団体の人々だと知ると、10台のバイクを喜んで貸してくれました。しかしそれからの道はさらに滑りやすく、大雨の中、EDF‐Thaiのスタッフのプロイさんはバイクから投げ出されてしまいました。少し怪我をし、服も汚れてしまったのですが、彼女は気にする様子もなく、笑顔で明るく振る舞い続けていました。私は熱心に働くということ、そしてポジティブな考え方を彼女の姿勢から学びました。

2つ目の出来事は、2014年11月。私たちは初めてタイビン省にEDFの秋尾理事長を迎えました。そこで驚いたのは、彼の働き方でした。創設者であるのに、威張ったところがなく優しい方でした。75歳で健康で活動的で、いつも想像力に溢れていました。たくさんの質問を私たちに投げかけてくださり、チームワークについても学ばせていただきました。昼食の時間を過ぎてもミーティングが白熱し、とてもお腹が減る思いをしたのですが、記憶に残る会議になりました。なぜ日本は発展するか、それは日本には秋尾理事長のような献身的な国民がいるからだと思わされ学びになりました。

貧しいベトナムの子どもたちを支援してくださった支援者の皆様 と、EDFの皆様に感謝申し上げます。暖かい心のこもったご支援により、子どもたちは学校に行くことができ、ご飯を食べることができ、より良い明日を迎えることができています。私にも、プロとしてスキルアップできるような現場で働く機会を与えてくださったEDFグループに心から感謝しています。

*EDF︓「Education Development Foundation、⺠際センターを含む各国事業所の総称名」

ベトナムの奨学生

 奨学生の声 <リンクはこちら>

【現奨学生の紹介】

グェン・トァン・アンさん

ダルニー奨学金のおかげで、中学校を卒業しようとするベトナムの中学4年生がいます。彼は、勉強を続けることをあきらめかけていましたが、奨学金のおかげで、続けることができました。そして、高校を受験する機会を得ました。受験を翌日に控えた彼の手紙を紹介します。

勉強を続けるために、高校の入学試験を受けます。今私は、非常に緊張と不安でいっぱいですが、希望を持っています。
私の父は麻薬のために、はやくに家をでてしまいました。そのため、私は自己卑下と不安の中で、いつも生きてきました。
たとえ進級できたとしても、経済的理由で、常に学校をやめなければならないという不安がつきまといました。
ベトナムの正月では、親族一同が集まり、食べ物や贈り物を持ち寄ります。その時、私達家族は何も準備できないので、落ち込んで惨めな気持ちになります。
それに、友達に遊びに誘われるのではという心配をしていました。経済的に厳しい我が家では、そのような時にお金がないからです。
学校の同級生は、経済的に困っている人たちの話を私に聞こえるようにして、ばかにします。
私は貧しい家庭に生まれ、成績は真ん中くらいの生徒でした。多くの海外からの支援は、成績が優秀で貧しい生徒が対象となります。私のような成績が真ん中の生徒には、奨学金の機会にめぐまれないということになります。しかし、ダルニー奨学金は、「より貧しい」が選考基準となっているため、私のような子どもも支援の対象となります。
中学4年生になると、家計を助けるために仕事に就くことを決意し、中途退学をしようとしていました。はるか遠い日本からの支援により、未来を変え、勉強を続けることができるようになりました。勉強を頑張り、奨学金提供者とEDFの好意にこたえるために、私が直面している経済的困難を乗り越えようと決意したのです。
驚くことに、成績が真ん中だった私は、好成績で中学校を卒業しようとしています。
そして、私は高校の入学試験を受験することにしました。
支援をしてくださった方、EDFベトナム、民際センターに感謝申し上げます。

【元奨学生のその後】

ダオ ティ ムアンさん

ナムティエンハイ高校 3年生 –  (Grade12) –

3年前、私はEDF-ベトナム(ベトナム事業所)から奨学金の提供を受けました。ちょうどそのころでしたが、私の父が癌で亡くなってしまい、父の死後、家族は借金を抱えていたので、家族全員から私に学校を中退するように言われていました。
友達みんなは、学校に通うことが出来るのに、なぜ私だけが勉強をやめなければならないのかと本当にがっかりしていました。

そんな時、幸いなことに、スワン(Xuan)校長先生が私の家にやって来て、学校に行くように励ましてくれました。また奨学金の事を教えていただきました。それまでEDF-ベトナム(ベトナム事業所)やダルニー奨学金のことは何も知りませんでした。校長先生やEDF-ベトナムの皆様の協力のおかげで、支援者の方から奨学金を受け取りました。私は支援者の方に、心から御礼を申し上げたい、「本当にありがとう」と大声で叫びたいと思いました。お会いしたこともない一人の温かい心の持ち主の方のご尽力により困難を克服することが出来たのは本当に奇跡的なことと言っても良いと思います。

今、私は高校を卒業する準備をしています。
私は家族を支えるために将来は仕立て屋さんになりたいと思っています。
そして、EDF-ベトナムが私の故郷でもっと多くの学生を支援し続けていただけることを願っています。特に私のような女の子が、自立して生きていくための教育支援を行っていただけることを願っています。
私がEDFについて考えるとき、それはただただ「素晴らしい・希望」という言葉しか思いつきません。

 ダオ ティ ムアン さん

 

ドゥ ティ トゥ グワンさん

ナムティエンハイ高校 2年生 -  (Grade11) –

私はEDFからの奨学金の支援と、EDF-ベトナム(ベトナム事業所)の代表であるカムバン(Cam Van)さんからの助言や励ましを頂きました。
そして医者になるという夢をもつことが出来たのです。
あるとき、バンさんは学校を訪問し、「多くの困難があるにもかかわらず、あなたは学校を中退することなく、とても、がんばっていますね。」と言って頂きました。それが私にとってがんばって勉強しようという思いの助けになっています。
EDF-ベトナムから奨学金を受けて4年間、母の経済的負担は本当に軽減されました。

高校では奨学金のサポートはありませんが、母と私は、妹と私が学校に行き続けることができるように一生懸命働いています。 夢はまだ夢のままです。 私が夢をかなえるまで母が健康でいてくれるよう願っています。
私は本当にEDFに感謝しています。
支援者の方は私が夢を見続けるのを助けて頂きましたし、多くの貧しい学生たちの希望の光となっています。

 

ドゥ ティ トゥ グワン さん

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