ラオス

ラオスってどんな国

ラオス

人口の約53.2% は低地ラオ民族、クムー族11%、モン族9.22% その他、アカ族など少数民族を含め50 民族から構成されます。
面積はおよそ236,800平方キロで、日本の本州の面積にほぼ匹敵します。ベトナム、カンボジア、タイ、中国、ミャンマーの5カ国と国境を接し、ASEANの中では唯一の内陸国です。主にタイとの国境沿いにメコン川が流れ、豊かな水資源が美しい自然を生み出しています。国土の8割、特に北部はそのほとんどが山岳地帯。平地はビエンチャン周辺やメコン川流域に広がり、豊かな森と川の恵みがこの国の暮らしを支えています。近年は焼畑や伐採による森林の減少も問題視されており、対策が急がれています。
内陸国で人口も少ないため、宗主国だったフランスはラオスを植民地支配したものの、道路、鉄道、病院、学校等の社会インフラを積極的に建設しませんでした。そのため、1953年に独立しても、しばらくの間、高校は首都のビエンチャンにしかありませんでした。
現在も重債務貧困国ですが、2000年代半ばに中部で鉱山が発見され、貿易収支が赤字からわずかな黒字に転換。政府の税収も改善されつつあります。

【基本情報】

面積:24万平方キロメートル(日本の本州と同じ程度)

人口:686万人

一人当たりのGDP:2,457米ドル

出典 外務省)

【支援地域情報】

ラオス

 

民際センターが支援している県は中南部の4県(カムアン、サワンナケート、サラワン、セコーン)です。支援対象地域の家庭のほとんどは農業を生業としています。メコン川やその支流に近いほど農産物の収穫が多く、対岸のタイに出稼ぎに出て収入を得る機会はありますが、奥地に入るほど水不足が深刻です。そして、出稼ぎの機会は少なくなります。

【いまだにラオスに埋まる不発弾】

1964〜73年の間、米国により2百万トンを超す爆弾がラオスに投下されました。その中には2億8千8百万発のクラスター爆弾が含まれていました。また、それらのうち、75万発が不発弾としてラオスに残されたといわれています。

1996年から年間合計約8~9百万ドルの支援を(米国も含む)各国から受けてきました。14年間で撤去された不発弾地域は計25,000ヘクタールに及びますが、これは被爆地域の1%でしかありません。毎年、不発弾の為に約300名の命が奪われています。ラオス政府は、不発弾による死亡数を300から70名まで低減するよう対策を図っています。統計によると、ラオスは人口一人当たりに対して、世界最大の被爆国となっています。

ラオスのクラスター爆弾

 

ラオスの教育事情

【現地の教育の概要と特徴】

学校制度

5・4・3・4制

義務教育期間

6歳~14歳(1学年~9学年)

学校年度

9月1日~6月1日

学校年度

【2学期制】
1学期:9月1日~1月31日
2学期:2月1日~5月30日

教育概要・特色

ラオスにおいては、義務教育である初等教育(小学校)は、就学年齢に特段の定めがなく、概ね6歳で小学校の第1学年に入学している。中学校、高等学校への入学率は、地方では未だ低い水準にあるが、首都であるビエンチャン特別市をはじめとする都市部では、教育熱が高まっており、中学校、高校への入学率も高く、更に高等教育(大学、職業訓練専門校等)へ進む者も多い。
ラオスにおける教育が直面する問題として、先ず、政府の教育予算が極めて少ないという点が挙げられる。このため、教科書の不足、適切な校舎の不足、教員の能力不足、不適切な教員配置、遠隔地の学校における教育の質の低さ、教育行政能力の不足等の状況が生じている。また、初等教育においては、貧困、通学困難、保護者の学校教育に対する意識の低さに加え、少数民族の児童はラオス語を生活言語としないため、授業を受けるのが困難等の理由により、入学後に退学する児童が多いことも問題となっている。

 

【現地の学校段階別教育の概況】

義務教育

2015年に改訂された教育法によると、前期中等教育までが義務教育であり、公立校における義務教育は無償であると明言されている。
教育法の内容はもとより、憲法で定められている教育に対する国民の権利や義務教育について、国民が正しく理解しているとは言い難く、行政についても、政府の予算不足もあり、必ずしも教育法に則った施策が実施されているとは言い難く、第9学年までが義務教育であることは国民には浸透していない。

義務教育の学校段階種類および就学状況

小学校:6歳~10歳、1学年~5学年までの5年制。純就学率は98.5%まで上昇している。ただし、第一学年の退学率は8.5%、留年率は13.5%と高い。遠隔地を中心に公立小学校の教室のうち27.8%が複式学級であり、その授業の質は改善が求められている。
中学校(Lower Secondary):11歳~14際、5学年~9学年の4年制。総就学率は78.1%であり、近年の初等教育の拡大と共に飛躍的に拡大している。

カリキュラム・教授言語

教授言語はラオス語で、教科はラオス語、算数、私たちの身の回り、芸術、体育、音楽、工芸など。

義務教育段階の学費

授業料は無料であるが、施設修繕費として負担を求められる場合がある。

スクールインフォメーション

進級のために必要な出席日数が定められている。
また小テストが実施され、成績評価の基となる。
ビエンチャン市の学校では制服が普及しているが、地方の学校では制服は一般的ではない。

(出典:外務省 諸外国・地域の学校情報)

 

ラオスが抱える教育問題

 

EDF-Laos(ラオス事業所の紹介)

【ラオス事業所長カムヒアンからのメッセージ】

【ラオス事業所のスタッフ紹介】

■フェンさん

  

サバイディー(ラオス語の挨拶言葉)!
私はウボンラット・ウドムスイン(OUBONRATH OUDOMSIN)です。
ニックネームはフェン(Fern)です。趣味は、料理、旅行、水泳、IT教育です。

2011年に日本の大学を卒業しラオスに帰国しました。当時EDF-Lao(ラオス事業所)で、ラオス人教師修士留学事業を担当していた友人が、オーストリア国費留学の奨学金に合格し留学することになったため、この仕事を紹介してくれました。それがEDFとの初めての出会いで、そこから約10年になります。現在EDF-Laoでは、自転車事業、ダルニー奨学金事業、学校建設事業などを担当しています。

首都ビエンチャン生まれで、これまで地方に行く機会があまりなかった私は、電気がない村でのホームステイや、貧しい農村地域を訪れ、そこに住む人々と関わる中で、初めて社会貢献について考え、何ができるかを考え始めました。すべてはEDFで働いたことにより得た経験なので、すごく感謝しています。現在2人の子どもを持つ私は、この仕事をこれからも続けていきたいと思っていますし、自分の子どもたちにも、成長とともに社会貢献に関わっていってもらいたいと願っています。

支援者の皆様へ
これまで支援をしてくださった支援者の皆様に心より深く感謝します。皆様のご支援は、本当に貴重なものです。EDF-Laoが設立された1997年から現在に至るまで、ほぼ23年もの間、永きに亘って継続して、地域の発展と生徒たちの成長をいつも見守ってくださりありがとうございます。当時何もなかった村に、現在生徒が通える学校ができ、教育を受ける機会が与えられ、良い人生を選ぶ選択肢が与えられているのは、支援者の皆様のお陰です。村の人々、教師、生徒たち、そしてEDF-Laoの職員一同、支援者の皆様に心からお礼を申し上げます。最後に、支援者の皆様及びご家族の皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。新型コロナウイルスの感染拡大の困難な時期が一日でも早く終わりますように、一緒に乗り越えられますようにお祈りしています。ご支援いただき本当にありがとうございます。

■ケオさん

   

私の名前は、フォネサバ ファンソン(Phonesavath Phangthong)、ニックネームはケオ(Keo)です。趣味は料理、読書、運動です。

EDF⁻Lao(ラオス事業所)で、2001年の8月15日から働き始め、現在、奨学金とプレゼントセットなどのプロジェクトを担当をしています。これまで20年近く、ダルニー奨学金事業に関わり、農村地域の貧しいラオスの子どもたちに教育支援と、地域社会へ貢献ができていることがとても嬉しいです。さらに、教材セットを学校に届けることを通しても、多くの子どもたちに支援が及ぶのを感じます。

また、日本から奨学生たちの支援者様グループが学校を訪ねてくださり、それによって奨学生たちが笑顔と笑い声で満たされた姿を見る時、本当に嬉しい気持ちになります。奨学金は農村地域の子どもたちの教育の発展のためにたいへん重要なものです。それはその地域の活性化につながり、教育レベルの向上をもたらすからです。

EDFグループの一員として働けることは私にとって誇りです。チームワークを学ぶことができると共に、農村部などで地域社会を助けることができます。さらに、プロジェクトに関わる中で、受けるより与えることの大切さを学ばされます。そして貧しい地域が少しずつ発展し、子どもたちの教育レベルが向上し、子どもたちの顔が増えて、よりよい将来を描くことができるようになっていくのを見るのがとても嬉しいです。

日本の支援者様へ
日本の支援者の皆様は素晴らしく、親切で献身的な方々だと思います。EDF⁻Laoのスタッフ、そして子どもたちに代わって、これまでのご支援へのお礼を申し上げます。皆様のご支援は教育の発展に非常に重要であり、そのご支援によって子どもたちは健やかに大人へと成長し、今度は家族を養うことができるようになります。ラオスから皆様のご健康とご多幸を祈っています。

■サニーさん

  

私の名前はアナンサボン シソウマン(Ananthavong Sisoumang)です。ニックネームはサニーです。EDF-Lao(ラオス事業所)のスタッフとして働けることは私にとって光栄であり喜びです。ここで学びつつ働くことにより、私の母国であるラオスの社会に少しでも貢献できていると思えるからです。

ラオスの事業所で2008年12月1日から働き始めました。現在は、管理アシスタント業務を担当し、事務全般を行っています。事務作業を補佐したり、事業所の整理整頓を行ったりしています。また、上司や同僚から各プロジェクトの仕事を教わりつつ、日々経験を積んでいます。     

ダルニー奨学金の奨学生がいる学校を訪問することもあります。学校給食プロジェクトを地域の方々と協力しながら行っていますが、野菜やキノコの栽培や、鶏の飼育、ナマズの養殖などを教え、どのように料理するかもアドバイスする時もあります。また、食事の前後には石鹸で手洗いをすることなど衛生面でもアドバイスをします。この学校給食プロジェクトによって、生徒は毎日学校に来てお昼ごはんを食べることができ、昼休みも友だちと学校で過ごすことができるようになります。雨期になるとぬかるんで歩きずらい道を、生徒たちはお昼ご飯のためにもう一度通らなくて済み、学校で休息する時間を持てます。                    

ダルニー奨学金に関わる仕事では、毎年奨学生から必要な情報を集め、奨学金を本当に必要としている生徒に割り当てられるように努めています。またプロジェクト等の文書の保管の仕事も行っています。

1997年より日本の皆様からダルニー奨学金の支援を受けています。日本が震災に見舞われた際も、そして今新型コロナウイルスの問題が世界中に起こっている中でも、日本の支援者の方々からの支援が途絶えないことを通して、日本の支援者様の親切さと寛大さを感じています。ラオス事業所のスタッフ一同、心から感謝しています。皆様からいただく貴重なご寄付のために日々働けることを本当に嬉しく思っています。

■カイソンさん

 

私の名前はカイソン スリコーン(Kaysone Sulikorn)です。

私はJICAが行っている“教育開発のためのコミュニティ・イニシアティブ”という教育プロジェクトのコーディネーターとして、2011年から2016年3月まで、EDF-Lao (ラオス事業所)と共に働いていました。このプロジェクトの目的は、村の教育関係者や村人の教育に対しての意識を高め、教育問題への理解を深め、対応していく力を育てることです。私はこのプロジェクトに携わることを通して、地域の人々と一緒になって情報を集め、農村の教育開発を助け、地域や地方レベルで必要となる調整を行うなど、たくさんの経験を積むことができました。

そして、2018年の終わりに、世界食糧計画からの資金提供をいただきつつ、カムアン県ナカイにある15の小学校で行う学校給食プログラムのコーディネーターとして、EDF-Laoで再び働く機会が訪れました。これらの学校は非常に僻地にあり、たどり着くためには何時間も泥道や山道を行かなければなりません。しかし、私たちを待つ子どもたちに会った時には、長旅の疲れも不思議と消え去ります。違う文化や習慣、生活様式を持つ村人たちと共に協力することは、時には挑戦がありますが、興味深くもあります。       

まず、村の教育開発に関わる人々のトレーニングから始め、料理に関して学ぶ機会を作り、食事の前後に7つのステップで手を洗うことなど衛生面も教えます。実施していく中で、もちろん問題は起こってきますが、その村の生活に調和し、そこに住む人々らしいやり方を皆で話し合ながら進めていきます。学校だけでなく村も同様に、季節の野菜を育てたり、養鶏をしたり、魚の養殖をするなどの活動を必要としています。このプログラムを行った結果、まず生徒たちが学校でより栄養価の高い昼食を食べることができるようになり、人々がプログラムについて理解を示し、地域社会が協力的になり、子どもたちの両親も安心して仕事に行くことができ、両親が子どもたちを農作業に一緒に連れていかなくて済むようになり、退学率が低くなるという良い効果が出ています。

現在、私はEDFの一員として働くことができ、幸せに思っています。私の趣味にも合っており、子どもたちの両親に会うために村々へ出かける時、その地域ごとの生活様式を再発見できることが嬉しいです。最後に、いつもラオスの人々を助けてくださる日本の皆様、心から感謝申し上げます。

*EDF︓「Education Development Foundation、⺠際センターを含む各国事業所の総称名」

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ラオスの奨学生

 奨学生の声 <リンクはこちら>

【奨学金申請中の子ども】

ライラさん

ライラは11歳。2年前に正体不明の病気でお母さんが死んでしまいました。お金がないため、治療を受けられず、薬も買えませんでした。
その後、お父さんは育児放棄して家を出て再婚してしまいました。残されたライラやきょうだいたちは生活に困りました。
それで、家族のために学校を中退した、7人きょうだいの一番上のお兄さん(23歳)が父親代わりに面倒を見ていますが、苦しい生活を送っています。
ライラときょうだいは農繁期に近隣の農家の農作業や家事の手伝いをして現金を得ます。
日の出前に起きて学校へ行くまでの間や学校が終わった後に働いて1日約200円。
この収入では家族全員が十分食べるものは購入できません。
まして農閑期で仕事(お金)がなくなると、きょうだいで森に入り、食べたり売ったりできる野菜を採集し、動物・昆虫などを捕まえます。
その日は学校を休まなければならないときもあります。

小学校で勉強する奨学生のライラ

<小学校で勉強するライラ>

ライラやきょうだいたちは毎日厳しい生活を送っていますが、小5(小学校の最終学年)のライラは勉強熱心。
小学校卒業後も中学校に行って勉強を続けたいと思っています。なぜなら、学校の先生になることがライラの夢だからです。

【現奨学生の紹介】

東南アジアの内陸国・ラオス。外国からの投資が進んでいるとはいえ、まだまだ国全体の発展までには及びません。民際センターが活動する、ラオス中南部では、昔ながらの農業を中心とする生活が続いています。農業での収入は不安定であり、貧困を抜け出すことは難しいのが現状です。そのため、経済的理由で中学校進学を諦める子どもたちがたくさんいます。そのような子どもたちにダルニー奨学金を通じて就学の機会を提供し、最終的には貧困からの脱却を目指しています。
ラオスでは、この5月に学校の1年間が終わりを迎えます。中学校4年間を修了して卒業を迎える子どもたち、次の学年に進む子どもたち、そして新たに入学する子どもたちがいます。今回は、卒業を迎える、中学校4年生の声をお届けし、彼らの感謝の言葉と卒業後の夢をお伝えさせていただきます。

ノー・ノグラオトング さん

私は、中学校に入学してから、今までの4年間奨学金支援を受けることができ、とても光栄に感じています。奨学金のおかげで、勉強していく上で必要なものを手に入れることができました。それは、きれいな制服、靴、文房具などの学用品など全てです。この4年間奨学金支援をしてくださったご支援者様には、感謝の気持ちしかありません。もし奨学金支援がなかったら、私の家の経済的負担は増え、私は今この場にいられなかったでしょう。奨学金支援のおかげで、私は中学校卒業という、4年前には想像できなかった状況にいます。中学校を卒業し、高校で勉強を続ける予定です。最後に、奨学金支援をしてくださったご支援者の方に、心からありがとうと言いたいです。

パエ・ラドコウマンさん

私は、家族の中で長女という立場であるために、両親から中学校を中退し、家事を手伝うように言われる可能性がありました。しかし、4年間の奨学金支援があったからこそ、卒業まで中退をせずに、通うことができました。中学校卒業まで奨学金を支援してくださった、ご支援者様にお礼を言いたいです。この4年間中学校で勉強したことで、いかに教育が重要であるかを知ることができました。今後、貧困から抜け出し、家族を助け、村を発展させるなど、恩返しをしたいと考えています。ご支援者の方に重ねてお礼をお伝えし、私と同じような境遇(経済的理由で学校を諦めかけている)にいる子どもたちへの支援をお願いしたいです。

【元奨学生のその後】

マリヤ・パトパーンさんからのビデオ・メッセージ

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