奨学生の声 現奨学生の紹介

タイ タイ

もっと勉強したい

バイカ(チチカ・シカモク)さん(新中学1年生)

バイカさんからのお手紙。

私は竹で作られた古い家で祖母と暮らしています。祖母は、月に600バーツ(日本円で約2,100円)しか年金を受け取ることができません。
両親は家から遠く離れたトウモロコシ畑で農業を営み、一晩中働いています。
また、私には兄と姉がいます。二人はすでに中学校を卒業しましたが、進学はせず、現在は家族を支えるためにバンコクで働いています。これらの収入だけでは生活費はまかないきれないので、週末には私もほかの農家で働き、一日につき200バーツ(日本円で約700円)もらいます。
稼いだお金は学校に預金し、学校で必要なものを買っています。GPA(学業平均値)は3.22です。私は歌うことが好きで、地域の歌のコンテストで代表として出場し、そして、優勝することができました。将来は看護師になって、困っている人を助け、また、私の両親が病気の時は看病したいです。

私は奨学金を受けることができて大変うれしく思っています。奨学金で、教科書など学校で必要なものが購入できます。そして一緒懸命勉強することを約束します。支援者の方に感謝の気持ちを伝えたいです。私はこれからも夢を追い続けていきたいと思います。

看護師になることを夢見てこれからも勉強したいと語るバイカさん。

 

 ソーンサワン・パンドゥアングさん(中学3年生)

奨学金で中学校に3年間通い、春から高校生になるソーンサワンさん。

はじめに、支援者の方々と民際センターの方々、私やほかの子どもたちを支援して下さったことに御礼申し上げます。奨学金のおかげで家族の負担が減りました。
初めは、私は奨学金を受けることができるかどうか自身がありませんでしたが、先生から良い報告を頂くことができ、とってもうれしかったです。
私の両親は農家を営んでいます。両親は雨季にはお米を育て、それ以外の時期は、低賃金労働者として働いています。いつ収入が全く無くなる時がくるかわからない状況において、民際センターの奨学金を受けられたことは私にとって貴重なものでした。
私は奨学金で制服や靴下などの学校で必要なもの買いました。もし、私がこの奨学金を受けることができなかったら、この楽しい3年間を過ごすことはできませんでした。そして両親は私を学校に通わせるために借金しなければならなかったかもしれません。

 私は数か月後に中学校を卒業し、公立高校に入学する予定です。将来は、看護師か、小学校の先生になりたいです。小学生はわんぱくなところもあるけれど、かわいいと思います。私は小学生に家族や地域にたいして思いやりを持てる人であることが、いかに大切であるかを教えたいです。この夢が実現するかどうかわからないのに、私を学校に通わせるために一生懸命働いてくれる両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。時々、中学校を卒業したら、高校進学をあきらめ、工場で働こうかと考える時があります。進学できたら、真面目に、一生懸命勉強するつもりです。母はいつも私に、意志のあるところに道はあると言います。

 最後にもう一度、私に学ぶ機会を与えてくださった支援者に感謝を申し上げたいと思います。
自分の利益より、みんなのためを思って行動できる支援者の方の様な人になることを約束します。

 
 ワリサ先生(ダルニー奨学金担当の先生)
 

民際センターの奨学金は、貧しい地域の恵まれない多くの子どもたちにとってすばらしい存在です。
この貧困における経済的地位が家族に多くの影響を与えています。両親が離婚する場合もあれば、仕事を見つけるのが難しい親たちもいます。
多くの親は、子どもたちを祖父母に面倒を見てもらわざるを得ません。また、学校から遠く離れた地域に住んでいて、学校に通えない子どももいます。
他の奨学金は1年間だけのものや、ほんの数人にしか与えられないのですが、民際センターの奨学金は毎年受け取ることができるため、本当に子どもたちの助けになっています。
これは大きな違いなのです。民際センターの奨学金は子どもたちにとって本当に役に立っていると私は感じています。

 子どもたちは奨学金を必要な文房具を買うために使用しています。私は勉強が得意ではない子でさえ授業に一生懸命に参加していることに気が付きました。
子どもたちを支援してくださった民際センターの方々に感謝しています。そして、これからもこの制度が続くことを切に願っています。

子どもたちに囲まれ、笑顔のワリサ先生。

ページのトップへ戻る

ラオス ラオス

卒業を迎える中学校4年生

私は、ソムオー・サイアノン(16才)。カムアン県ターケーク郡にあるクアドン中学校の4年生です。両親は農家で、3人の兄弟がいます。ダルニー奨学金のお陰で、中学校を卒業し、高校に進学することができます。新しい制服や学用品がもらえてとてもうれしいです。お米を炊く、家掃除、皿洗いなど家事の手伝いの他に、余暇の時間は母を手伝って、かごを作ります。そんなに収入にはならないですが、生活費の負担を少しは減らせます。
ラオス語は、私の一番得意な科目で好きです。勉強以外に課外活動はラオス伝統舞踊の練習をします。奨学金の支援がなければ、高校に進学できず、こんな楽しい学校生活は過ごせないと思います。支援者様に心から感謝します。将来は、警察官になることを夢見ています。

 

これまでも、そしてこれからも生徒たちに寄り添い続けます

ダリバン・サイヤケット先生は、ラオスでのダルニー奨学金プロジェクトにおいて重要な役割を果たしています。先生は、初期(2009年)から奨学生の選考やサポートを行うガイダンスティーチャーの一人です。タケク郡のクアドン中学校で教鞭と取りながら、地区でおおよそ50人の奨学生を担当しています。ガイダンスティーチャーの重要な仕事の一つとして、民際センターラオス事務所と学校をつなぐ役割があります。先生は、生徒たちやその家族のことをよく知っています。そして、貧困や学校に行けない生徒たちの状況を見てよく理解し、それらを民際センターラオス事務所に伝えてくれます。ラオス事務所の職員だけでは、今のように奨学生に寄り添った支援は出来なかったでしょう。

ダリバン・サイヤケット先生

先生と生徒たち

先生は、次のように話してくれました。「日本の方々がラオスの中学生にお心を寄せて下さっていることに対して深く感謝申し上げます。中学生への奨学金制度が始まった2009年以降、このプロジェクトは子どもたちに大きな影響を与え、それは良い意味で地域における大きな変化となり、私はそれを肌で感じています。奨学金をもらう事によって生徒たちは学校に安定して通う事ができ、勉強に集中することができます。彼らは、勉強に対して情熱を持っており、このように就学の機会を得て、子どもたちはより良い人生を送ることができると家族も感謝しているのです。家族は、学校に行くためにかかる費用(学用品や制服等)を心配する必要がなく、結果として退学率は減りました。以前、生徒たちが学校に行けなかったのは、生活費を稼がなければ生きていけない状況にあったからです。生活に不安があっては、勉強にも身が入らず成績も上がりません。そして、奨学金は彼らの親や祖父母も助けます。つまり、彼らは生活費を得ることだけに専念することができ、学校に通っている子どもたちを働かす必要がなくなったからです。皆、教育の重要性をよく理解し、教育は生活の安定に繋がることをわかっているのです。」

生徒たちの様子

そして、先生は続けます。「私はいつも生徒を励まし、見守ります。生徒たちや彼らを取り巻く環境の変化について些細な事でも民際センターラオス事務所に報告し、どう対処すべきかを相談しています。奨学金は生徒たちの生活を大きく変えました。奨学生も家族もダルニー奨学金の制度があって本当に嬉しいと言います。ですから、奨学生と家族になり代わり、民際センターのスタッフ、支援者の方々にお礼が言いたいのです。彼らを助けて夢を叶えるために、是非、この取り組みを続けて下さい。教育は明るい未来をもたらし貧困の連鎖を減らすことができるのです。」

生徒たち、そして家族に寄り添った先生の姿がそこにありました。 

カンボジア カンボジア

貧しさの中で取り残される子どもたち

カンボジアの学校は秋入学制で11月に新学期を迎えます。民際センターが支援する地域にも今年小学校を卒業した子どもたちがいます。彼らに話を聞き、それらをお伝えします。
今年の11月から中学校に行って勉強を続けたいけれど、お父さんお母さんのこと、兄弟姉妹のこと、おじいさんおばあさんのこと、そして何よりも生活のことを考えたときに「この先どうなるかわからない。」と不安そうに言います。彼らには、十分な力も知識もなく自分ではまだ生活を支えることはできません。この機会に彼らの声を聞いてください。
紹介する子どもたちの中には、年齢が中学校に上がるには大きい子どもたちが何人かいます。それは、貧しさで何年間か学校に行けなくて次に行ったときには、普通に学校に行っている子どもたちよりも大きな年齢になっているからなのです。民際センターが支援している地域には、そのような子どもたちが多くいます。

イム ファリーさん(14才)

おうちの前で

海藻を編んで家計を助けます

私は勉強が好きで先生になりたいから毎日学校に通っています。成績は、クラス33人中6番目です。お母さんは7年前に亡くなり、父は再婚して私たち子どもとおばあさんを置いて他の土地に行ってしまいました。
私の家族には土地がなく、牛も飼っていません。祖母は、近所での仕事を探さなければなりません。仕事を見つけられないときは、海藻でマットを編みます。私も学校がない時は、祖母を手伝います。
私の兄と姉は、生活のために働かなければならなかったので学校を辞めざるをえませんでした。私はどうなるのでしょう。私は学校の先生になりたい。ですが、私の家庭は貧しいので先生になれるかどうかはわかりません。

ハット スレイ リークさん(13才)

金属くずを集めます

おうちの前で妹と

 将来の夢は、先生になることです。私は3人の兄弟がいて、その真ん中です。父は、随分前に亡くなり、母は再婚し私たちを置いて出て行きました。
私、兄そして妹は、祖母の家に身を寄せました。その祖母は年老いていて、病気がちで貧しいのです。私と妹は放課後と休みの日には金属くずを集め、兄は牛の面倒を見る等の仕事を見つけて生活費を稼がなければなりません。
私の兄は、昨年小学校を卒業しました。妹は5年生になります。私は中学校に行けるかどうかはわかりません。なぜなら、兄は学校に行くために必要な筆記用具や洋服、自転車がなかったので中学校進学をあきらめたからです。

ペック ナリさん(13才)

 

 

 

 

 

 

 

おうちの前で

私は、将来は先生になりたいと思っています。私は勉強が好きで学校を続けたいです。成績も悪くないのです。
私には兄弟がいません。私と家族は他人の土地に建てた掘っ立て小屋に住んでいます。父は体が弱く、母も定職がなく一日の収入は15,000リエル(日本円で約400円)です。私も家計を助けるため休日に仕事を探します。
私は勉強を続けたいのです。なぜなら私は本当に先生になりたいのです。私は今年小学校を卒業したので秋には中学生です。でも、中学校に行けるかどうかはわかりません。うちには畑もありませんし、家を建てる土地もありません。中学校で勉強するには学用品が必要でそれらを買う余裕はうちにはありません。 

ページのトップへ戻る

ベトナム ベトナム

息子には同じ思いはさせません <奨学生の母親からの手紙>

※この手紙は奨学生のお母さんにインタビューし、その中学校の先生が書いたものです。

支援者様
民際センターの皆様

私の名前は、ヒエップンガヒア 地区 ジーンクアン町に住んでいるカ・バットと言います。
私の息子は、中学校に通っています。私自身は貧しい家庭に生まれたので、学校へ行く機会はありませんでした。

奨学生カ・バット

私は読み書きができません。私は成長しそして結婚しました。夫も読み書きができませんでした。
私の人生は、安定しない賃金の安い仕事にしかつけない事で、さらに辛いものになりました。
また、読み書きができないため、会社には応募できません。私たちの今の仕事は肉体労働です。
その後も、読み書きができないために仕事を見つけるのは簡単ではなく、時には追い詰められました。
教育なしにはやりたいことは何もできず、仕事も得られません。
好きな道を進むことができないのです。

息子が生まれたときに自分の人生を振り返り、さらに辛くなりました。
そんな人生を送ってきたから私は、どんなにお金がかかっても自分の子ども達は、学校に行かせようと心に決めました。
そして、 2016年、私の息子は中学校に通うことになりました。

学校の先生のご尽力で、息子は、日本のダルニー奨学金を受けることができたのです。
私はとても感動し、民際センターのベトナム事務所、支援者の方と中学校の校長先生に本当に感謝しました。

奨学金を受け取ったとき、他の親御さんがサインできているのに私は拇印を押さねばならなくて、とても恥ずかしい思いをしました。
なぜなら、私は子供の頃、学校に行けなくて字が書けないからなのです。
思わず、息子を抱きしめて「よく勉強して私とお父さんを喜ばせてね。私たちは他の人たちと比べていつもひけ目を感じていたのよ。
あなたは、精一杯頑張って自分の人生を変えなさい。」と言いたくなりました。日頃から、息子にはよく勉強するように言っています。

ベトナム奨学生の母親からの手紙

最後に、民際センターのベトナム事務所と中学校の校長先生が、うちの息子と他の貧しい生徒を支援してくれたことにいつも感謝しています。
本当にありがとうございました。

カ・バットより

カ・バットさんの息子さんは、支援を受けることができましたが、まだ支援を必要としている子どもたちがベトナムには沢山います。

苦しみを乗り越えて

今回は、奨学生のナムプー中学校3年生ファムカンデゥイ君からのお手紙を紹介します。手紙の中には、彼が背負った悲しみとダルニー奨学金の支援を受けることができた感謝の思いが綴られています。

<ファムカンデゥイ君からのお手紙>

私の過去は悲しいことばかりでした。そして、小さい時は自分の病気ーHIVが何かを知りませんでした。近所の子どもたちは、「おまえの家族みんなHIVだ。あいつとは遊ばないよ。」と言い、私を嫌っていました。そして、気にすることもなく家に帰って母に自分がなぜそんなことを言われるのかを尋ねました。彼女は何も言わず、ただ、私を抱きしめ泣きました。
私は、友達や周りの人からの屈辱や差別を受けながら生きてきました。そんな中、父はHIVで亡くなりました。私と母はやり場のない思いを抱え、いつも泣いていました。そんな母を見ていると、私は時折辛い思いに耐えられなくなりました。その後、私たちはそれまで住んでいた場所を離れ、祖父の故郷タイビン省で暮らすことになりました。そして、母はそこのHIV患者を支える団体に入りました。そして、時は流れ、人々のHIVに対する見方が変わってきました。母は毎月その団体の活動に参加し、同じ境遇の男性と知り合って再婚しタイビン省を離れました。
母がいなくなってしまい私は悲しくて絶望し孤独でした。そして、年老いた祖父と二人きりになりました。時に自分の人生が意味にないものに思われ、なんだかの理由で家を離れざるを得なくなり学校を辞めることになるのかもしれない・・・という不安が心をよぎりました。でも、私の事を考えてくれる親戚、先生、友達の事を思った時、暗い過去を忘れることができました。

ナムプー中学校3年生のファムカンデゥイ君

今は、体調に気を付けて学校に通いながら、毎月病院に行って薬をもらっています。休みの日には祖父の仕事を手伝って、少しですが生活を助けています。周りの人からの気遣いもあります。学校の先生は勉強を見てくれますし、勉強にも興味を持つことができます。

ファムカンデゥイ君とHIVの薬

去年、私は民際センターからダルニー奨学金をもらっていた中学4年の生徒が、無事に中学校を卒業するのを見ていました。そして、私も同じ様に奨学金をもらって中学校を卒業したいと強く思いました。
私はいつまで生きられるかわかりません。薬を飲むとき自分の置かれた状況の困難さと痛みを思うのです。でも、私は今年ダルニー奨学金を受けることができました。私の傍らには支援者の方がいてくれます。そう思うことで自分の将来の可能性が広がるように思えるのです。

タイビン省タイハイ郡ナムプー中学校3年生ファムカンデゥイ

ファムカンデゥイ君は悲しい思いをましたが、今は奨学金を受け取ることができ安心して勉強を続けています。話にもあるようにベトナムの地方には支援を必要としている子どもたちがいます。ぜひ、皆様の温かいご支援をお願い致します。

ページのトップへ戻る

ミャンマー ミャンマー

イイカインさん(新中学1年生)

私はキャウングコン(Kyaung Kone)小学校5年生のイイカインです。
私は僧侶の父、日雇い労働者の母、そして弟と妹の5人家族です。弟は小学2年生で、妹はまだ学校に行っていません。
父は病気を患っており、母は働いているので、私が毎日の食事の支度や、掃除、妹の面倒を見なければなりません。
このような家の事情があるので、これから勉強を続けていけるか不安があります。
それでも、私はどうしても学校へ行きたいのです。そのために毎日一生懸命勉強しています。
私の夢は大きくなったら、先生になることです。

家事を手伝いながら、夢のために勉強を頑張るイイカインさん。

サンダー・リンさん(中学4年生)

私は中学4年生のサンダー・リンです。私は両親と小学4年生の弟の4人家族です。私が小学生の時は、生活費が足りず、大変な思いをしました。
しかし、中学1年生から4年生まで民際センターから奨学金を受けることができたので、とても助かりました。
いただいた奨学金で学費を支払いました。奨学金のおかげで私は安心して勉強することができました。支援者してくださったみなさんに心から感謝しております。
私は来年から高校生になります。ですが、父は病気で、母は一人で家族のために働いているので、高校に進学するのが大変です。
また、私は父の看病もしなければなりません。それでも私はどうしても勉強したいのです。

学ぶことに熱心なサンダー・リンさん。

ダルニー奨学金担当の先生

生徒のために一生懸命な先生。

皆さん、こんにちは。私はキャウングコン(Kyaung Kone)中学校に勤務している教員です。民際センターが私たちの中学校だけでなく、フタンタピン( Htantapin)町の貧しい子どもたちに奨学金を支援してくださったことを、子どもたちにかわって感謝の言葉を申し上げたいと思います。私は、教員をしていて、貧しい子どもたちの姿を見るたびに、考えることがありました。それは、私たちはどうしたらこの子たちが笑顔で勉強している姿を見ることができるかでした。
フタンタピン( Htantapin)町では、民際センターが貧しい子どもたちへ奨学金の支援をしてくださったので、私たち教員は子どもたちの笑顔を見ることができました。それに保護者の方々も、子どもたちが安心して勉強できることに喜んでおりますし、私自身も大変うれしく思っております。本校は来年度中学1年生になる生徒が25人いて、そのうち20人の生徒が貧しい家の子どもたちです。
彼らが奨学金を受けることができればこんなに嬉しいことはありません。今後ともよろしくお願い致します。

 

 

モー・モー・カイさん(中学2年生)

ヤンゴンの チャンタピン 郡区のヨーグワ基礎教育高等学校に通う、モー・モ・カイ(中学校2年・女の子)さんは、母親、姉、妹2人の合計5人で暮らしています。父親は、出稼ぎに出ていて家にはいません。母親は病弱で働くこともできず、家で休んでいます。2番目の姉は、生活のために中学校を中退して近くの工場で働いており、妹は小学校1年と4歳です。一番上の姉は、既に結婚していて、別の家で家族と生活しています。

家事は、母や姉にかわって、彼女が行っています。学校から帰ってきたら、掃除、洗濯、炊事などの家事をするのですが、彼女の家には電気がないので、暗くなる間に全てを終えなければなりません。

家事を終えると、やっと勉強の時間となりますが、電気がないので思うように勉強するのは難しいです。

学校がある間は放課後に家事をすればいいのですが、長い休みになると日中は日雇いの仕事に行かなければなりません。

日々勉強する時間もままならない彼女ですが、将来教師になり、自分と同じ境遇の貧しい子どもたちに教育の機会を与えることが目標です。

ページのトップへ戻る

 

寄付ボタン