【タイ】過酷な労働からより良い未来をめざして― マリカさん
3月20日に締め切りを控えるタイ・ミャンマーの奨学生候補の子どもたちから届いたお手紙を紹介しています。今回はタイの中学1年生、マリカさんからのメッセージです。
小学校高学年で両親が離婚
私の名前はマリカ・パッタネです。ニックネームはカオスエイです。現在はチャイヤプーム県パックディ・チュムポーン郡にある中学校の1年生です。
5人家族でしたが、今は私と母の2人で借家に暮らしています。2番目の姉は幼い頃に病気で亡くなりました。
子どもの頃から日雇い労働者として働く両親を助けなければならなかったため、私の人生は苦労の連続でした。幼い頃は、両親が働きに出る時は祖母に預けられ、面倒を見てもらっていました。小学4年生になると、両親が肉体労働を続ける中、私は家政婦として働き始めました。5年生では両親のタマリンド(タイで定番のフルーツ)の木の剪定作業を手伝い、6年生になると母の商品販売を手伝うようになりました。
両親は私が小学6年生の頃に離婚し、この出来事をきっかけに私の人生はさらに苦しいものに変わっていきました。

父との空腹の日々、母との過酷な労働
両親が別れた後、母は(約40km南の)テープサティット郡で働くために引っ越し、私は父と暮らすことになりました。当時は父が失業中で、食べるものがないこともよくありました。生き延びるために毎日祖母に食べ物をせがまなければなりませんでした。
中学1年生の長期休み中、母が私をテープサティット郡へ連れていき、一緒に暮らすことになりました。私は母の仕事を手伝い、1日100バーツ(約500円)を稼ぎました。当時の暮らしはとても辛いものでした。ビニール袋を輪ゴムで結ぶ作業を続けた結果、手はひどく擦りむけて傷だらけになってしまいました。それでも傷を包帯で覆い、痛みをこらえながら働き続けました。
重労働を続けた結果、私はひどく体調を崩しました。4日間も食事がとれず、激しい頭痛に苦しみ、歩くのもやっとで、手足に痺れを感じました。体重もかなり減りました。その後、医師に診てもらってから状態は徐々に回復し、仕事に復帰できるようになりました。
長期休みが終わり、中学1年生の後期が始まってからも、母の負担を減らすために家事を手伝い続けました。学校に行くお金がない日もありました。

“奨学金”は、この暮らしから抜け出す第一歩
私の夢はサッカー選手とバレーボール選手になることです。これまで私の人生はあまりにも辛い道のりだったため、今回ダルニー奨学金を申請することに決めました。今よりもっと良い未来を築くために、どうか私に学び続ける機会をいただけますようお願いいたします。皆様のご厚意とご支援に心から感謝します。
「ダルニー奨学金」は、ドナー1人につき1人の子どもを支援し、子どもには誰が支援してくれているのかを伝える、顔が見える、成長が見守れる、1対1の国際教育里親制度です。年間14,400円の支援で、子どもが1年間学校に通うことができます。
タイ・ミャンマーの奨学金の締切は3月20日です





