「かって奨学金を支援したタイ東北の中学生たちの消息を知りたいので可能なら探してほしい」
関西在住のドナーさんからの連絡を受けたタイ事務局は、元奨学生9人の消息探しを開始しました。
彼らが通った中学校に連絡を取りましたが、卒業した生徒達のその後の情報を容易に得ることはできませんでした。
諦めていた頃、ようやく1人の元奨学生の情報を入手したとタイ事務局からの返事がありました。
元奨学生シラニーさんは、自分の人生を切り開くきっかけになった奨学金支援者である「恩人」が、自らを探していると知りとても嬉しく思い、奨学金を受けた中学時代から現在までを、感謝しながら語ってくれました。
シラニーさんからのメッセージ
私シラニーは、タイ東北地方農村部の貧しい農家に生まれ、中学就学が難しい状況でしたが、日本からダルニー奨学金を受給し、1999年から3年間中学で勉強することができました。
中学卒業後は、高校進学も希望していましたが、高校の奨学金は得ることができませんでした。
しかし、「学生ローン基金」から高校就学に必要なお金を借り、さらに、有り難いことに、ある高校教師の家事手伝いをすることで収入を得ることができたのです。
(写真左:大学卒業時 右:現在)
高校卒業後、工場に勤務して得た収入を、実家や妹の学費などに充てました。
2009年当時、実家には父母のほか弟と年の離れた幼い妹がいましたので、私も家計を支える必要がありました。
さらに、働いて得た収入の一部でアユタヤの職業訓練学校に入学。
その後はバンコクにある大学に転入し、政治学を専攻し、2012年に卒業することができました。
現在、私は、チョンブリ県にある電子機器メーカー(米国系)に勤務し、結婚もして夫婦で働いています。
最後に、奨学金支援者の方に、心から感謝の気持をお伝えしたいです。
あなたが中学3年間の奨学金を支援してくださったおかげで、勉学への情熱を持ち続け、高校と大学まで教育を受け続けることができました。
そして、今、こうして経済的自立を果たし、故郷の貧しい家庭の後輩の教育支援ができる境遇にもなりました。
本当に、ご支援ありがとうございました。
「すっかり素敵な女性になった
貴方の写真を見て本当に涙がこぼれました」
奨学金を支援した建入さんに、シラニーさんからのメッセージと写真を送信したところ、建入さんから、以下のメッセージを受け取りました。
このメッセージも英訳し、シラニーさんにタイ事務局経由で送りました。
ちなみに、建入さんは1999年からタイ中学生9人を卒業まで支援し、最初に奨学金支援をしたのがシラニーさんでした。
支援者から元奨学生へのメッセージ
シラニーちゃんへ
事務局の計らいで貴方の消息を知ることができました。すっかり素敵な女性になった貴方の写真を見て本当に涙がこぼれました。
子どもの時の写真の印象は、困難に負けず力強く生き抜いて行く子どもなのだろうなと思ったものです。
中学3年間の支援しか出来ませんでしたが、その後、貴方からヘルプの連絡があれば出来るだけのことはしようと考えていたんですよ。
でも、前向きな姿勢が買われて大学へも行くこともできた貴方は、とてもツイている人生を送っているかもしれませんね。
その運を逃がさないように、いつも目標を持って夢を多くの人に語って下さい。
貴方のこれからの夢は何でしょうか? 夢を形にするには行動しかありません。
でも、信念があれば貴方を必ず支援してくれる人が現れてきます。それが世の中の面白いところです。
私は大学も海外留学も自分のお金で行きました。海外も90か国以上出かけて、長年、経営コンサルタントとして東京で働いていましたが、福島原発問題で奈良の明日香村に2012年に移住し、生薬プロジェクトを立ち上げています。
明日香村は政治や文化の発祥の地ですが、すっかり衰退してしまって放置畑を開墾しています。
古い我が家に民泊でアジアの子ども達を沢山受け入れています。週末は障がいのある子どもの施設の支援もしていますが、オリジナルの学校を創るのが夢です。
奈良での活動は「橘舎」のHPをみて下さいね。
いつも貴方の幸せを祈っています。そして、再び縁を繋いで下さった事務局の皆様に感謝申し上げます。
最後に
建入さんのようにタイなどメコン5カ国の子どもの教育支援をして、シラニーさんのような人材を育てるきっかけにつながるダルニー奨学金の支援者になりませんか?!
★タイ奨学金締め切り2018年3月20日です。