奨学生の声 元奨学生のその後

タイ タイ

元奨学生の結婚式に「お父さん」として出席

中野秀俊さんはダルニー奨学金で支援した中学生、ナムチョック・プイペン(通称ヌイ)さんをさらに高校、大学まで支援しました。ある日、中野さんのもとに、ヌイさんから結婚式の招待状が届きました。
そして、
2017年3月、タイで行われたヌイの結婚式に「お父さん」として出席しました。

以下は、結婚式に出席した中野さんから届いた感想です(一部修正)。

16年前に私が初めて支援した奨学生、ナムチョック・プイペン(ヌイ)から「結婚するので3月25日の結婚パーティーに是非参加してほしい」と連絡があり、以前より彼女が結婚する際は参加する約束をしていたこともあり、佐久ダルニー連絡会代表の柳沢光一氏とタイに行ってまいりました。

元奨学生の結婚式

<新郎新婦と中野さん(写真:右端)>

彼女は中学時代から勉強が好きで、私の家族の理解もあり中学~大学まで支援をし、大学卒業後も今日に至るまで16年間互いに連絡をとり合い、彼女は私のことをお「父さん」と呼んでいます。彼女は今、バンコクの短期大学で学校スタッフとして勤務しております。
彼女はすでに実父を亡くしているため、結婚パーティー招待状には両家のご両親名のところに私が彼女の父親として印刷されていました。
18時よりパーティー会場入口で、新郎新婦と両家の両親とで招待者をお迎えするのですが、私も彼女の父親として約600名の招待客をお迎え致しました。

セレモニーでは、新郎新婦の首にお祝いの花輪を職場の上司や各関係者がかけたに新郎の父親が挨拶をし、その後新婦の父親として私があいさつをしました。
あいさつ文は事前に私が住む市の市役所のタイ語翻訳ボランティア(タイ人)にタイ語に翻訳してもらい、式では彼女が代読しました。
彼女が代読する前に、私がカタカナ翻訳したタイ語でしどろもどろしながら自己紹介と彼女との関係、さらに私がタイ語でのあいさつができないので、彼女に代読してもらうことを短く説明。
そして、いよいよ彼女があいさつ文を代読しましたが、段々涙声になって声を詰まらせ、さらに新郎とご両親も涙していました。
それを見た私も涙、涙・・・。

私はいつも思っているのですが、彼女がどんなに頭が良くてもダルニー奨学金に出合えなかったら、今の幸せな生活は無かったと思います。
今回、改めて教育を受けることの大切さを再認識するともに、彼女の幸せを願い、タイをあとにしました。

 

2人の大学生(元奨学生)からのビデオ・メッセージ

ワサナ・サプラブマートさん(コンケーン大学 コンピューター科学学科2年生)、ナトリ・スリサワドさん(ドンブリラジャハート大学 経営学部経営学科1年生)からビデオ・メッセージが届きました。

 

ダルニー・サリーラオ Darunee Sreelao

1987年、日本で知り合ったタイ人留学生の帰省に同行した、理事長の秋尾は、タイ東北地方の村で経済的に貧しくて中学校に就学できない現状を知りました。
「ここはタイで最も貧しい地域で、小学校卒業後すぐに働きに出る子どもが多いんだ。
今、私の膝の上に座っているこの子も同じ境遇なんだよ」と、ある村人から聞かされました。
少女 ダルニーちゃんとの出会いです。
必要な金額は年間1万円強 「これなら私にも支援できる」、日本に帰国後、村人の膝の上に座っていた少女の名前をもらい、支援を募ったのが「ダルニー奨学金」制度のはじまりです。

その奨学金の名称にもなったダルニーちゃん、今は、何をしているのでしょうか?

遠くの国の日本人の方々が、なんの見返りもなく、自分の勉強の為に、ただただご支援頂き、奨学金を得て何とか勉強することができました。今度は、自分自身が、同じ国の、自分と同じような境遇の子どもたちの為に働きたい・・・

いまは、なんと彼女は、EDF-Thai(タイ事業所)で、自国の子どもたちの為に、働いているのです。

支援を受けていたころの奨学生

現在は民際センター・タイ事務所の職員をしています

ラオス ラオス

助産師として地方の人たちの健康を支えています

ダルニー奨学金の奨学生だったブアラバン・ケオロングさんは、貧しい家に生まれました。そして、ダルニー奨学金を得て、今は助産師として働いています。もし、奨学金を受けられなかったら、今のような職業に就く事も出来なかったでしょう。その彼女が、助産師になるために通った今までの学校での生活、大変だったこと、嬉しかったこと、そして何よりも支援をして下さったご支援者様への感謝の気持ちを何度も話してくれました。 

私は、奨学金のお陰で教育を受けることができこの上なく幸せです。民際センターと支援者の方にはとても感謝しています。もし、教育を受けていなかったら、私は、今、どこにいたかわかりません。きっと、畑を耕して貧しさに苦しんでいたことでしょう。でも、奨学金を得て、人生を変えることができました。そして、私は自分が助産師として他人を助ける仕事につけたことに誇りを持っています。民際センターの皆様、支援者の方、私にチャンスを与えて下さって本当にありがとうございます。
         助産師学校の生徒たち
学校生活の中で最も印象深い思い出は助産師になるための実地研修です。その中には8人の実習生がいて私を含めてすべて女子学生でした。私たちは地方の村に行き、村人たちに薬を配りました。そして、オートバイで何時間もかかるような、地方へも行きました。道路状態がとても悪かったので怖かったです。訪問した村で妊婦さんたちの健康診断を行い、最近生まれた赤ちゃんがいるお宅へも行き、新米のお母さんに母乳で育てることの大切さを伝えました。私たちは、訪問した地域の生活の様子を知ることができ、人々が住む近隣に医療機関がある事の重要性に気づかされました。日々、一つ一つの経験が貴重な物でした。改めて、勉強できることの素晴らしさを実感し、支援者の方にはどんなに感謝しても足りません。私は、学校での座学と実地研修で学んだことをすべて習得し、その能力を活かして故郷の村で人々のを助ける仕事をしたいと思ってきました。そして、私は今、家の近くの医療機関で助産師として、村人の健康を見守っています。
 

マリヤ・パトパーンさんからのビデオ・メッセージ

元奨学生のマリヤ・パトパーンさんは、生まれ育った村で小学校の先生をしています。
奨学生だった当時、彼女の家はとても貧しく、ダルニー奨学金をもらってやっと学校に行くことができました。
その彼女が、支援者の方に感謝のメッセージを寄せてくれました。

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カンボジア カンボジア

今の自分に自信をもって生きています

私は、クン・ビチェット、24歳です。カンボジアのカンポット県で友人とともに起業して、今は財務を担当しています。そして、自分の仕事に誇りを持っています。

元奨学生のクン・ビチェットさん(右)

私には7人の兄弟がいて、私自身は上から4番目でした。兄弟はみな、生活が苦しく小学校を卒業することもできませんでした。特に私が小学校の卒業をむかえるころ、家庭の経済状況はひっ迫していたので、とても両親には「中学に行きたい。」とは言えませんでした。

年上の兄弟と同様に中学校には行けないと思っていたので、その時はとても悲しく絶望していました。でも、幸運なことに小学校を卒業した時にダルニー奨学金の奨学生に選ばれたのです。奨学金支援を受けることができて、本当に嬉しくてとても誇らしい気持ちになりました。そして、一生懸命勉強して、私は、中学校を卒業することができたのです。

高校に進学した時、裕福な家の生徒は補習授業(有料)に通うことができましたが、私の家は貧しかったのでその補習授業へは行くことができず、結果、成績はあまりよくありませんでした。高校を卒業しなければ、大学や専門学校等の上位教育を受けることはできません。私はその頃、勉強が好きでエンジニアになりたいと思っていました。なので、高校卒業後、専門学校の試験を受験し合格しました。でも、私の両親は私を学校に通わせるだけの余裕はありませんでした。その時、幸運なことに会計事務所での仕事を見つけ、そこでの収入を学費に充て、働きながら勉強を続けて学校を卒業することができたのです。

私は、支援してくれた日本の支援者の方にお礼が言いたいのです。教育は私の人生を明るく照らしました。そして、経済的に恵まれず教育を受ける機会のない子どもたちを支援する活動を続けていただきたいと思います。彼らは本当に支援を必要としているのです。

経営する会社で従業員と(右がクンさん)

最後に、私に教育を受ける機会を与えてくださった支援者様に心から感謝し、ご多幸を心からお祈り申し上げます。

貧しさから救ってくれたのは「ダルニー奨学金」でした

カンボジアの教育環境は、1975~1979年に政治勢力「クメール・ルージュ」政権による教育層への大量虐殺により崩壊しました。その後、1991年のパリ平和協定以来、海外からの支援によりその状況は劇的に良くなりました。しかし、都市と地方の貧富格差による特に地方の中等教育における低就学率や高退学率等の解決しがたい問題が残っています。

民際センターで、教育こそが国の発展に貢献し、貧困を撲滅すると考えており、は2007年からカンボジアの地方における教育支援を続けています。そのような中で、ようやくその元奨学生たちがカンボジアの社会に貢献しているという話を聞くようになりました。今日は、その中の一人、現在は教師養成短期大学に通うソドン・ペルンさんの紹介をします。

貧しさから救ってくれたのは「ダルニー奨学金」でした。

私は、ソドン・ペルン、20才、今は教師養成短期大学の1年生です。来年、この短期大学を卒業して教師になります。自分が教壇に上がって子どもたちに勉強を教えることを想像しただけでとても誇らしい気持ちになります。

教師養成短期大学の1年生 ソドン・ペルンさん

私は、ダルニー奨学金のお陰で、中学校を卒業することができました。その頃、私の通う中学校では、9人の生徒たちが私と同じく支援を受けていましたが、そのほとんどが高校に進学することはできませんでした。

小学校の卒業を前にしてダルニー奨学金を受け中学校に通うことができると聞いたとき、私は本当に嬉しかったのです。その頃、私の家はとても貧しく、ダルニー奨学金がなかったら中学校に通うことはできなかったでしょう。経済的に恵まれない状況の中でつらかった時、遠い日本で自分を応援してくれている人がいると思うと勇気が湧いてきました。そして、無事に中学校を卒業することができました。

私が、高校に行き始めたころ、家族の経済状況はそれまでになく大変で、高校を辞めなければならない様な状況が何度もありました。でも、私は勉強が本当に好きで、これまで私たち家族を苦しめてきた「貧しさ」から抜け出したいと考えていました。その時、子どもたちに英語を教える仕事を見つけることができ、そこで稼いだお金で高校を卒業することができたのです。私は本当に幸運でした。

私は、自分を支援してくれた日本の方に感謝の言葉を伝えたいのです。その就学支援は、私に教師になって次の時代を担う子どもたちを教え、自分自身は自立できるという明るい未来をくれました。ご支援していただきました方、本当にありがとうございました。

このように私に希望を与えていただいたご支援者様へ、改めまして心からのお礼を申し上げるのとともにあなた様の末永いお幸せを心よりお祈りいたします。

世界地図の前で夢を語るソドンさん

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ベトナム ベトナム

人生の岐路 <ベトナム元奨学生からの手紙>

親愛なる民際センターの皆様へ

私は、タイビン県チエンハイ郡ナムチン地区に住むングエンハンホアと言います。今年、私はナムチンハイ高校の2年生になりました。
2年前、私が中学校3年生の時、父が仕事中の事故で亡くなりました。それは私の人生で一番の不幸でした。そして、不幸はそれだけではありませんでした。父の死は、母を追い詰め彼女は病気になってしまいました。私はもはや親からの支援は受けられず、私は家計を助けなければなりませんでした。それは私が学校を辞めなければならない理由で、私の夢は潰えたのだと思っていました。

しかしながら、ある時学校の校長先生が私の家に来て民際センターが1年の奨学金を進めてくれたときは本当に嬉しくて幸せな気持ちになりました。その時の私の幸せな気持ちをどう表現したらいいのかわかりません。

民際センターが私を支援してくれたのは1年だけでしたが、その支援を受けた時、私は人生の岐路にいました。
学校を辞めて父の様に、多くの危険と向かい合わせの労働者として働くか、勉強をして自分の人生を自分で決めて良い環境の中で職業を決めることができるのかと言う人生の岐路だったのです。
母は病気で私と弟を養う事はできません。そのどうにもならない困難を私は超えることができなかったのです。
ですから、その奨学金支援は私にとって、本当に重要なものだったのです。

民際センターの奨学金は、私の中学校4年生生活を後押ししてくれました。
それは、物質的な援助だけでなく、私の心までを豊かにしてくれる支えになりました。

私は、タイビン県主催の科学技術賞を受賞しました。そして、成績優秀で中学校を卒業し、高校1年生で優秀生徒賞を受賞しました。

ングエンハンホア君

(元奨学生で成績優秀のングエンハンホア君)

私は、民際センターの支援に本当に感謝しています。民際センターは私の未来は明るいということを感じさせてくれました。
さらに、私は不幸であったけれど周りには情け深い人たちが身近にいるという事を感じさせてくれました。
それは、今までもそしてこれからも変わらないでしょう。言語、文化、信条、宗教の壁を越えて人間は暖かいのです。
また、私は民際センターベトナム事務所所長ングヒエムカムバンさんに大変感謝しています。こんな地方まで来て私と友達に奨学金を渡してくれたのです。
私たちの勉強を後押ししてくれた彼女がこれからも健康で美しい人生であることを心よりお祈り申し上げます。
また、これからも困難な状況にある人を多く助けてくれることを願っております。

新学期の始まるこの機会に私はすべての民際センターの職員の方そして支援者の方に感謝申し上げ、皆様のさらなるご健勝をお祈りいたします。

ングエンハンホア

ベトナムの奨学生のお手紙を受けて

ングエンハンホア君、心温まるお手紙ありがとうございました。英語もびっくりするほどよく書けていました。すべてにおいて成績優秀なのですね。手紙をくれたングエンハンホア君は、1年だけ支援を受けて勉強を続けることができました。

しかし、彼の手紙から物語られるようにまだ、沢山の子どもたちが支援を必要しています。

工場で働く元奨学生の声

グエン・バン・グエンさん(元奨学生)

私は、タイビン省でEDF-ベトナムが最初に活動を開始したNam Hong中学校出身で、2013年度から4年間ダルニー奨学金の支援を受けていました。現在高校には行かず、働いています。私を支援してくださった方たち、特に奨学金を提供してくださった支援者の方は、そのニュースを聞いて、残念に思い、悲しむかもしれません。しかし、社会に出て働く現在の私の近況について、お伝えさせていただければと思います。
中学校4年生を修了した時、私の家族の経済状況は非常に厳しく、私を高校に行かせることはできませんでした。それに加えて、私の母はその時に重い病にかかっていました。病気を患っている母の薬代を稼ぐために、働くことを決心しました。
私は就職活動を通じて、工場や会社は最低でも中学校卒業の資格を応募者に求めていることがわかりました。就職活動を通じて、4年間にわたるダルニー奨学金と支援者様のご支援のおかげで、私が就職活動において有利であることを痛感しました。ダルニー奨学金がなければ、私は中学校卒業さえもできなかったのです。中学校卒業資格があったからこそ、今の仕事をみつけ、十分な給料を得ることができたのです。
何の支援も受けていない、地方の貧しい子どもにとって、就職するにあたって、中学校卒業資格は、かけがえのないものなのです。
私は、現在食品工場で働いていて、1ヶ月3,500,000ベトナムドン(約17,000円)の収入があります。現在会社の寮で生活しているので、生活費はほとんどかからず、母の治療費として給料のほとんどを仕送りしています。
17歳となった今、よい仕事に就いて、自立するだけでなく、母の面倒までみることができています。そんな私は、社会で成功していると言えるのではないでしょうか。
高校で勉強していない私に落胆せずに、現在の私に安心していただければ嬉しいです。
ダルニー奨学金の支援がなければ、現在の私はありませんでした。ご支援者とEDF-ベトナムへのご恩を忘れたことはありません。皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。

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