ラオスについて

内陸国で人口も少ないため、宗主国だったフランスはラオスを植民地支配したものの、道路、鉄道、病院、学校等の社会インフラを積極的に建設しませんでした。
そのため、1953年に独立しても、しばらくの間、高校は首都のビエンチャンにしかありませんでした。現在も重債務貧困国だが、2000年代半ばに中部で鉱山が発見され、貿易収支が赤字からわずかな黒字に転換し、政府の税収も改善されつつある。

基本情報

面積:24万平方キロメートル(日本の本州と同じ程度)
人口:640万人(2009年統計IMF推定値)
GDP:878ドル/1人(2009年IMF推定値)

支援地域状況

民際センターが支援している県は中南部の4県(カムアン、サワンナケート、サラワン、セコーン)で、支援対象地域の家庭のほとんどは農業を生業としている。
メコン川やその支流に近いほど農産物の収穫が多く、対岸のタイに出稼ぎに出て収入を得る機会はあるが、奥地に入るほど水不足が深刻で、かつ出稼ぎの機会は少なくなる。

教育事情

ラオス政府の統計などから、
2007年の小学校純就学率(学齢児童の入学率)は76.1%。その内訳として首都ビエンチャンの就学率は9割近くだが、地方では5割程度にとどまる県もあった。
また、初等教育終了率は全国平均で62%だが、地方の県では5割に満たない県もある(2006年)。
また、小学校が設置されていない村は2,092村(20%)で(2005年)、設置されても5年制間でない不完全校が半分以上を占める。

民際センターの実績

  • 奨学金提供数:約6,000(2010年度)
  • 小学校校舎建設:26校(累計)
  • 図書提供校数:約40校(2009年度)
  • 保健衛生実施校:17校(2009年度)
  • ラオス人教師修士留学派遣者数:19名(在学・卒業生累計)

いまだ ラオスに埋まる不発弾

ラオスは1996年から年間合計約8~9百万ドルの支援を(米国も含む)各国から受けてきました。 14年間で撤去された不発弾地域は計25,000ヘクタールに及ぶが、これは被爆地域の1%でしかありません。 毎年、不発弾の為に約300名の命が奪われています。ラオス政府は、不発弾による死亡数を300から70名まで低減するよう対策を図っています。
シェンクアンのゲストハウスに陳列された不発弾
1964〜73年の間、米国により2百万トンを超す爆弾がラオスに投下されました。 その中には2億8千8百万発のクラスター爆弾が含まれていました。 また、それらのうち、75万発が不発弾としてラオスに残されたといわれています。 統計によると、ラオスは人口一人当たりに対して、世界最大の被爆国となっています。

奨学金申請中の子ども

小2のトール君は長男で、下には5人のきょうだいがいます。日課は水汲みから朝夕の食事の用意、皿洗い、そして何よりも森に入って食べるものを探します。というのも、両親は農業をしていますが、小さな水田でとれるお米は家族の消費量のわずか3か月分。近隣の農家を手伝って得る両親の現金収入は月平均1000円にも満たないので、いつも食べるものが不足しているからです。トール君の成績はクラスで1,2番。病気の時以外は、くたくたになるまで働いても学校を休みません。

現奨学生の生活

ダルニー奨学生のドクラックは現在、小4で、両親、きょうだい3人の5人家族です。

奨学金をもらう前は、制服も学用品も不足しがちでしたが、今は十分揃っています。そのため、成績も上がりました。もともと勉強は好きですが、長女として水汲み、弟の世話、薪拾い、田植え等で忙しく、家では思うように勉強できません。


将来、看護婦になりたいドクラックは中学にも行きたいし、両親も反対はしていませんが、家族の貯金はゼロ。毎日の食べるものにも事欠く生活です。

元奨学生のその後

ラオス奨学生1期生のダオサバイさんは8人きょうだい。家庭は「とても貧しかった。それで先生が奨学金のことを教えてくれた」そうです。そして中学3年までの6年間、ダルニー奨学金を受けました。

「奨学金を受けるようになって、勉強への意欲が湧いてきました。勉強できるチャンスが与えられたのですから、一生懸命勉強しました」。

ダオサバイさんは将来、小学校の先生になるべく現在、サワンナケート県にある教師養成カレッジに通っています。学費は、彼が卒業した小学校で教師をしているお姉さんが払っています。「教育は長いプロセスですが、必ず見返りがあると思います。私たちの国では人々が教育を受け、その教育を受けた人が国の発展にために尽くすことが大事です。奨学金を提供してくれた方への恩返しの意味でも、一生懸命勉強して良い教師になり、国の発展のために尽くしたいと思っています」。