一般の方

全国たくさんの個人の方が民際センターの活動に共感いただき、経済的に貧しく学校に通えない子どもたちにご支援いただいています。

※民際センターの収益の95%以上は個人の方々の寄付で成り立っています。

 

【ダルニー奨学金】

鈴木美里さん(20代女性)

鈴木美里さん

 

私が奨学生を支援したきっかけは、友人の紹介でした。

初めは、なんとなく支援を始めましたが、支援した子供の写真が送られてきた時に「1人の子どもを支援した」ということを実感し、喜びを感じました。

そこで、支援を続けていこうと思いました。一年に一万円なら、学生の私でも、アルバイト代で支援を続けることができました。

 

ラオスには、勉強する意欲があるのに、家の手伝いや経済的な問題から学校に行けない子供達が多くいます。

しかし子供達はその環境にも屈せず、将来は医者や教師になりたいという夢をもっています。

私は、子供達のその意欲を発する場所を、これからも提供していきたいと考えています。

私1人の力では、多くの子供を支援することは出来ませんが、より多くの人が支援してくれれば、より沢山の子供達の夢を応援することができます。

もし、子供達の力になりたいけどどうしたら良いのかわからない・・・と思っている人がいるなら、ダルニー奨学金をお勧めします☆

 

山田美里さん(30代女性)

山田美里さん

 

私は社会人になったことがきっかけで、ダルニー奨学金のドナーになりました。

ドナーになった理由は、学生時代の旅行を通して大好きになったタイとつながりを持ち続けていたいと思ったことです。

ダルニー通信や、年1度の奨学金証書を通じて、奨学生の成長や現地の様子を知ることは、大きな楽しみです。

 

数年前には、タイのルーイ県にある奨学生の家と学校を訪問させてもらいました。

現地では、茅葺き屋根の貧しい家の様子と、学校まで山道を1時間以上歩いて通っている事実に衝撃を受けました。

そして、奨学生に会った時には、私が働くお給料のほんの一部で、彼という一人の子どもの未来が明るくなるかもしれないことが嬉しく、また、中学生とは思えない小柄な体や、恥ずかしそうな笑顔に胸がしめつけられるような気がして、なぜか涙がボロボロ出ました。

現在、彼は中学校を卒業し、私は次の奨学生の支援を行っています。

いつかタイの全ての子どもたちが学校に行ける日を願いながら、今後も自分にできる形で、長く支援を続けて行きたいと思います。

 

 東矢高明さん(40代男性)

東矢高明さん

 

子どもたちと出会って1990年にドナーとなり、1997年以来継続してタイ・ラオス研修旅行に参加しています。

その旅行で子ども達に会うたびに、何かできることは無いかと思ってしまいます。

行きつけの居酒屋に募金箱を置かせてもらい、知人に子どもたちや村の写真をみてもらって協力を仰いでいます。

効果があるのは、公務員なので互助組合会報に書き損じ葉書や未使用テレホンカード等の提供をよびかける記事を掲載していることです。

クリスマスカードや年賀状にもその旨を書きます。

 

この成果で昨年はタイ・ラオスでAタイプ2名を、今年はCタイプ2名を支援できました。

1年かけて集めた使用済インクカートリッジを寄付する方、何年もかかってハガキを集める方、家を掃除したらテレホンカードが出てきたという方が必ずいて、些細なことですが、毎年続けていることで覚えてくれる人がいるのです。

自分のことでは何も思いつきませんが、子どもたちのためにはまだまだいろんなアイデアが出てきそうです。

「確かに私たちのしていることは大海の中の一滴にしか過ぎません。でもその一滴がなければ大海もないのです。」(マザー・テレサの言葉から)

 

 中野秀俊さん

元奨学生の結婚式

 

16年前に初めて支援した奨学生ナムチョック・プイペン(ヌイ)から、「結婚するので結婚パーティーに是非参加してほしい」と連絡がありました。

以前より彼女が結婚する際は参加する約束をしていたこともあり、佐久ダルニー連絡会代表の柳沢光一氏とタイに行ってまいりました。

彼女は中学時代から勉強が好きで、私の家族の理解もあり中学~大学まで支援をしました。

大学卒業後も今日に至るまで16年間互いに連絡をとり合い、彼女は私のことを「父さん」と呼んでいます。

 

彼女は今、バンコクの短期大学で学校スタッフとして勤務しております。

彼女はすでに実父を亡くしているため、結婚パーティー招待状には両家のご両親名のところに私が彼女の父親として印刷されていました。

18時よりパーティー会場入口で、新郎新婦と両家の両親とで招待者をお迎えするのですが、私も彼女の父親として約600名の招待客をお迎え致しました。

セレモニーでは、新郎新婦の首にお祝いの花輪を職場の上司や各関係者がかけたに新郎の父親が挨拶をし、その後新婦の父親として私があいさつをしました。

あいさつ文は事前に私が住む市の市役所のタイ語翻訳ボランティア(タイ人)にタイ語に翻訳してもらい、式では彼女が代読しました。

彼女が代読する前に、私がカタカナ翻訳したタイ語でしどろもどろしながら自己紹介と彼女との関係、さらに私がタイ語でのあいさつができないので、彼女に代読してもらうことを短く説明。

そして、いよいよ彼女があいさつ文を代読しましたが、段々涙声になって声を詰まらせ、さらに新郎とご両親も涙していました。

それを見た私も涙、涙・・・。

 

私はいつも思っているのですが、彼女がどんなに頭が良くてもダルニー奨学金に出合えなかったら、今の幸せな生活は無かったと思います。

今回、改めて教育を受けることの大切さを再認識するともに、彼女の幸せを願い、タイをあとにしました。

※当時奨学生だったヌイを高校・大学まで支援しました。

※掲載文は、2017年3月にタイで行われたヌイの結婚式に、「お父さん」として出席した中野さんから届いた感想を一部修正したものです。

 

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【Libraryキャンペーン】

本が皆無の村の子どもたちに150冊の本をプレゼント】

板倉ラオスの会 栗原容子さん

板倉ラオスの会

 

私たちの支援活動は、タイで最も貧しいと言われる東北地方の子どもたちの中学就学を支援する奨学金提供から始まりした。

その後、支援対象を同地方よりもさらに貧しいラオスの子どもたちに移し、2001年にはラオスの南部セコーン県パクトン村に校舎を寄贈し、以後、2年おきに同村を訪問して滞在し、村人や子どもたちと交流しています。

 

パクトン小学校への図書寄付

 

3回目の訪問時(2005年)、パクトン小学校に約150冊の本が入る図書箱をプレゼントしました。

ラオス第2の都市パクセーから車で2時間半の同村で、子どもたちが教科書以外の本を手にする機会は皆無だからです(教科書すら持っていない生徒がいます)。

村の近くの市場でも本を見かけませんし、パクセーの巨大な市場でも、その片隅にほんのわずか積んであるだけです。

本は想像力と思考力を養うのに欠かせません。

本を読んで、村の現実とは別の、様々な広い世界があること、また人間には美しい世界を創造・想像する力があることを子どもたちが楽しく学んでくれたら、とても嬉しく思います。

 

【ラオス研修旅行に参加して図書セットを寄贈】

 吉山和宏さん

吉山和宏さん

 

私は定年退職後、時間に余裕が出来たので、研修旅行に参加させてもらいました。

始めはタイ・イサーンの南と北へ行ったので、この次はと考えていた時に、旅行会社の案内にラオス旅行が有ったのを思い出し、ラオス研修旅行に参加することにしました。2008年はカムアン県でした。

参加させてもらった時、奨学生にドラえもんのラオス語版を持参し渡しましたが、興味を示しません。

緊張しているのかなと思いましたが、そういえば、1991年のタイ研修旅行の時、宿泊させてもらった小学校には図書室があり、多くはないがある程度の本がありました。

このラオスの小学校には図書のある部屋がありません。生徒も一冊の教科書を数人で見ているようです。

これでは、本に興味を覚えることが無いことが解り、次年度の図書事業に参加させてもらいました。

少ない冊数ですが、本箱を開けると楽しそうに気に入った本を探して見てくれました。

これからも、事情が許せば、ラオス図書プロジェクトに参加させてもらいたいと思っています。

 

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【TTM(ラオス人教師修士留学事業)】

Kさん(奨学生への手紙から抜粋)

 

私の祖父が生まれた1900年頃は日本も貧しい国でした。

実は祖父も奨学金を貰い、多くの人々の善意に支えられて上級学校を卒業しました。

そのようにして教育を受けられたことに対して私の祖父は終生変わらぬ感謝と誇りを持っていました。

祖父を含む多くの日本人の先達が努力したおかげで現在、日本は豊かな国となり、私自身、大学を卒業することができました。

私が今回援助させていただくことは、私の祖父の想いを叶えることであり、私自身の喜びでもあります。 

異国で勉学に励み、それを祖国の人々に還元していくことは、長い時間の絶え間ない努力を要することだと思います。

私が応援しているカンディーさんをはじめ、奨学生のみなさんのご健闘をお祈りしております。

 

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