【ベトナム】枯葉剤の被害に遭いながらも頑張る奨学生

ダオ・ティ・ランさんはナムチン中学校の1年生。ベトナムで最も貧しい地域と呼ばれる、北部のタイビン省に住んでいます。

 

ダオ・ティ・ランさん

 

ベトナム戦争が終結して今年はちょうど40年目となります。

しかし、その戦争に従軍した祖父のダオ・ヴァン・ヴィェームさんは、米軍が散布した枯葉剤を浴びました。

戦争が終わり、田舎に帰ってからヴィェームさんは体調を崩しました。

何をやるにも力が入らず、天気が悪くなったり、季節の変わり目には身体のあちこちが痛みました。また、10年ほど前から視力も失いました。

政府はヴィェームさんを枯葉剤の被害者として認定しましたが、一昨年、73歳で亡くなってしまいました。

 

枯葉剤を米軍が散布したのは、ゲリラの潜む山林などを丸裸にして敵軍をあぶり出すのが目的でした。

しかし、そこに含まれる猛毒のダイオキシンは、がんや精神障害など、枯葉剤を浴びた人や、ダイオキシンで汚染された食物を食べた人に様々な障害を引き起こしています。

さらに恐ろしいのは、その影響が受けた本人のみならず、子や孫など子孫に引き継がれてゆくことです。

ベトナムではひ孫まで4世代にわたってダイオキシンの影響で様々な障害が起きていることが確認されています。

 

同じ悲劇はランさんの家族にも起きました。

ランさんの父親も生まれつき目が見えないほか、ランさん自身も体が弱く、骨が通常より細く、力がありません。

枯れ葉剤の影響ではないかと考えられています。

 

家族の中にあってすべてを引き受けていたのはランさんの母親でしたが、ランさんが2歳の時、家計を少しでも助けようと魚を取っていた時に川で溺れ死んでしまいました。

それを不憫に思った父親の幼なじみの力添えもあり、父親は再婚をしましたが、生活の苦しさに変わりはありません。

 

現在は義母が漁師船に乗り込み、漁の手伝いをしたり、料理を作って得る月200万ドン(1万円強程度)が家計のすべてです。

しかし、それとて安定しているわけではなく、海の状態と捕れた魚の数次第という状況です。

そして義母と父親の間には2人の子どもができ、ランさんには妹ができました。妹たちは5歳と3歳で、面倒は見るのはランの役目となっています。

 

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ダオ・ティ・ランさんの家事の様子

 

祖父の軍功で政府から援助が出たので、7年前に質素な家を建を建てました。12畳程度のスペースに、壊れそうなベッドが1つ。

そこには父親と小さな子ども達が寝て、義母とランさんは冷たいコンクリートの上にござを敷いて寝ています。

家にドアと窓がないのは、お金がなかったから・・・。

「それに、泥棒が入っても盗まれるものはどうせないので」と義母は話していました。

 

ダオ・ティ・ランさん家

 

昨年5月、ランさんは小学校を卒業しました。中学校へ1年間通うためには、家の1ヶ月分の収入と同じ200万ドンほどが必要です。

小学校では歌が上手ながんばり屋さんとして知られ、成績も非常に良かったランさん。

しかし、2人の妹が学校に通うことを考えて、中学への進学は最初から諦め、入学式にも出席しませんでした。

 

ところが、通っていた小学校の先生が近所に住んでいて、学校にいるはずの時間にランさんが家にいることに気づいて、「なんで家にいるの?」と尋ねたところ、ランさんは「もう学校には行かない。お金がないのを知っているから、あきらめます」と泣きながら話したのです。

先生は、その年からランの通うはずの中学校で民際センター奨学金の配布が始まったことを耳にしていました。

調べてみたところ、まだ申し込み期間中であることが分かり、ランさんと家族に申請を勧めました。

 

ただ、ひとつ問題もありました。中学へ入学するためには6月に試験を受けなければなりませんが、それがとっくに終わっていたのです。

しかし、中学校の先生たちと教育委員会の協力で、特例としてランさんのためだけに試験を実施させることを決めたのでした。

これはタイビン省では初めてのことでした。晴れて1ヶ月遅れで中学生となったランさん。

1学年3クラス111人のうち、優秀な生徒だけを集めた23人の特別クラスで今、勉強ができる喜びをかみしめています。

 

ダオ・ティ・ランさんの勉強風景

 

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民際センター編集部
「公益財団法人民際センター」は日本生まれの国際協力教育NGOです。世界の子どもたちが中学校に通えるよう教育支援をしています。

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