日本民際交流センター 日本語 ENGLISH
日本民際交流センターはタイ・ラオス・カンボジアの子どもの就学の夢を叶えるダルニー奨学金を運営している、国際協力NGOです。 皆さんの年1万円で1人の子どもの人生を変えることができます。
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06年度タイ奨学金の締切、迫る!
2006.03.06
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2006年度タイ奨学金の締切3月20日が間近になりましたが、現地事務局レポートとして、昨年度奨学金を得て中学に通うタイ東北地方ロイエット県の奨学生のエピソード(当センター季刊誌「ダルニー通信」最新号より抜粋)をご紹介します。

ロイエット県といえば、2006年1月中旬、タイのタクシン首相が、「貧困撲滅キャンペーン」として民家の庭にテントを張り5日間の合宿生活を送った県です。このニュースはいろんな意味で“話題”になり、日本のメディアでも取上げられましたが、タイ東北地方の貧困、そして、同国内にある都市部と東北部との大きな経済格差が紹介され、同地方の子どもたちへの奨学金支援の必要性が改めて確認されたと思います。 一人でも多くのタイの子どもが中学で勉強できるよう、ご支援よろしくお願いします。

 
養子先から100km歩いて戻ってきた奨学生
「なんで私を他の人にあげちゃったの? 私は最後までお父さんの面倒を見るわ」
ナリッサラー・ブアンボン
ローイエット県のパンドンサワーンウィット校で教えている先生は、ナリッサラー・ブアンボン(写真右)の様子についてこう語っています。「彼女は、全身不随で苦しむお父さんの世話で忙しく、自分のために何かをする時間はまったくありません」。

その理由はこうです。5年前、ナリッサラーのお父さんは、ある事故が原因で脳に障害を受けてしまったため、それまでラヨーン県で働いていた会社を辞めざるを得ませんでした。それだけではなく、体の自由が利かなくなり、家族の世話を受けることになりました。しかし、介護に疲れ果てた妻は、家族を捨てて家を出て行ってしまいました。

ナリッサラーの家族は、ローイエット県に住む伯父さんから援助を受けることになり、同県に引っ越しました。ナリッサラーは毎日、学校へ行く前と後で家畜の体を洗い、小屋を掃除し、餌や水をやることが日課になりました。しかし、経済事情は苦しく、11人もいる狭苦しい家の中で息のつまるような毎日を送っています。

●養子に出したけれど
ナリッサラーの将来を悲観した父は、ナリッサラーを養子に出したことがあります。「私と娘がラヨーン県にいた時、私が病気で子どもを養うお金がないことに同情した人が、ナリッサラーを養子として引き取り、ジャンタブリ県に連れて行きました。3日後、ナリッサラーはジャンタブリ県からラヨーン県まで100キロ以上の道のりを歩いて帰ってきてこう言ったんです。『なんで私を他の人にあげちゃったの?お父さんはもう私のことを愛していないんでしょう?でもお父さんが私のことを愛していなくても、私はどこへも行かずにお父さんの傍にいて最後まで面倒を見るわ』とね」。

ナリッサラーの家族の不幸はこれだけではありませんでした。2002年、ナリッサラーの弟であるサイチェンが学校の教室から飛び降り自殺を図ろうとしました。幸いなことに、友人が止めてくれたため手遅れになりませんでしたが、この事件の後、学校はナリッサラーと弟の精神状態を今まで以上にケアする必要がでてきたことを認識しました。なぜなら、子どもは貧しい生活からのプレッシャーで、何か想像もつかないことをしてしまうかもしれないからです。

●奨学金で勉学に意欲
今、奨学金をもらって、ナリッサラーはできるところまで進学したいと強く思うようになっています。「私はすごく勉強したいのです。勉強が私に知識を与えてくれます。もし私の父が教育の機会を得ていたら、父の人生はこんなに困難ではなかったと思います。私はできるところまで勉強し知識を得て、父の面倒を見るために良い仕事に就きたいのです。私は父の傍で最後まで面倒を見ると決めています。なぜなら父は私の父だからです」。1人の小さな女の子が生活の困難にもがき苦しみながら、一筋の希望を見つけました。彼女の愛する父のために、一生懸命勉強して良い仕事に就きたい、良い人生を送りたいという希望です。